神様に愛されているからこそ祈れる〜聖書が教える「祈り」の本当の姿〜

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神様に愛されているからこそ祈れる〜聖書が教える「祈り」の本当の姿〜

祈りの第一歩は「相手を知ること」

神様からの手紙(聖書)を開く

私たちは「祈り」と聞くと、目を閉じて自分の願いを一生懸命に念じることだと考えがちです。しかし、祈りについて考えるとき、まず一番大切なことがあります。それは、「祈る対象がどのような方か(どのような神様か)」を知ることです。

見ず知らずの人に深い悩みを打ち明けたり、心からの願いを伝えきったりすることはできません。相手がどれほど信頼できるかを知って初めて、私たちは心を開くことができます。では、目に見えない神様がどのような方かを知るにはどうすればよいのでしょうか。

それは、神様からの手紙である「聖書」を読むことです。聖書には、神様がどれほど私たちを愛し、どのようなご性質を持っておられるかが記されています。その手紙(聖書)を通して神様を知ることが、本当の「祈りへの第一歩」なのです。

聖書が教える祈りとは?

神様は私たちの「便利な道具」ではない

私たちが神様からの手紙である聖書を読むとき、世間一般で考えられている祈りと、聖書が教える祈りとの間にある大きな違いに気づかされます。

世の中には、賽銭を投げて自分の願い通りに神様を道具のように動かそうとする「御利益宗教的」な祈りが溢れています。それはまるで、神様を自分の欲望を満たすための「便利な道具」のように扱うことです。自動販売機にお金を入れてジュースを買うように、祈れば自分の思い通りになるという考え方です。しかし、聖書の神様は、人間がコントロールできるような小さな存在ではありません。

本当の愛が持つ「厳しさ」という優しさ

聖書が教える祈りの関係を深く理解するために、ここで一つの例えを考えてみましょう。

あるところに、自分の息子を心から愛している母親がいます。母親は息子が可愛くてたまらないので、基本的にはどんな願いも聞いてあげたい、喜ぶ顔が見たいと願っています。

ある日、幼い息子が「本物のハサミで遊びたい!」と泣いて駄々をこねました。さらに「ご飯の代わりに、お菓子だけを毎日食べたい!」と強く訴えます。もし、母親が「この子が喜ぶなら何でも聞いてあげよう」と、まだ幼い息子には危険な鋭いハサミを渡し、毎日お菓子だけを与え続けたとしたら、それは本当の愛でしょうか。違います。それは無責任です。

本当に息子を愛している母親なら、どんなに息子が望んで駄々をこねて泣き叫んでも、「絶対にダメ!」厳しく対応し、ハサミを取り上げます。そして健康のためにお菓子だけを与えるというようなことは絶対にしません。なぜなら、それが息子を傷つけ、健康を損なう危険なことだと知っているからです。

本当の愛とは、何でも相手の言うことを受け入れることではありません。本人を守るために、時には厳しく「No」と言うことなのです。願いを聞かないのは、愛情がないからではなく、全力で息子を守り抜くためなのです。

子供のように、ただ単純に求める

神様の3つの答え「Yes」「Wait」「No」

私たちの神様への祈りも、これと全く同じです。

「あなたがたのうちだれが、自分の子がパンを求めているのに、石を与えるでしょうか。(中略)まして、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者に良いものを下さらないことがありましょう。」

(マタイの福音書 7章 9-11節 )

祈りとは、幼い子供が大好きな母親に「お母さん、これして!」とただ単純に求めるようなものです。私たちは難しく考えることなく、素直な思いや願いをそのまま神様にぶつけてよいのです。

しかし、神様は天の親としての神様は、私たちにとって何が本当に「良いもの」であるかをご存知です。だからこそ、私たちの自分勝手なわがままや、私たち自身を傷つけるような願いや危険をそのまま許すことはなさいません。

私たちが祈るとき、神様は主に3つの方法で答えてくださいます。

  • 「Yes(今きいてくださる)」
    :私たちにとって良いことであり、タイミングも完璧なとき。

  • 「Wait(しばらく後できかれる)」
    :願い自体は良いものであっても、私たちがそれを受け取るのにふさわしく成長するまで、あるいは最適な時が来るまで待つように言われるとき。

  • 「No(本人のためにきかれない)」
    :それが私たちを滅ぼしたり、神様の素晴らしい計画から外れてしまったりするとき。神様は愛するゆえに、あえて願いを退けられます。

とことん愛し、守り抜く方の御手の中で

最善をしてくださる神様への信頼

「祈っても思い通りにならないなら、祈る意味がないのでは?」と思うかもしれません。しかし、先ほどの母親の例えを思い出してください。母親はハサミを取り上げた後、息子をほったらかしにするでしょうか。決してそんなことはしません。泣いている息子を抱きしめ、とことん愛し、別の安全なおもちゃを与えて一緒に遊んでくれるはずです。

「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」

(第一ヨハネ 5章 14節 )

祈りの一番の喜びは、願いが100%思い通りに叶うことではなく、「自分のことを一番よく知り、最善の道へと導いてくださる天のお父さんとの対話」そのものにあります。

今、あなたの祈りがすぐに叶えられていないように思えても、決して落ち込む必要はありませんそれは、神様があなたを深く愛し、あなたにとって一番良いタイミングで、一番良いものを与えるために、全力であなたを守り導いておられる証拠なのです。

どうぞ、今日も幼い子供のように、安心してあなたの思いを神様に打ち明けてください。すべてをご存知の神様が、愛に満ちた最善の答えを用意してあなたを待っておられます。

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