【聖書通読 第29週 2日目】ほこりまみれの「名器」を見出す神の眼差しと、恵みという「完成された名画」

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【聖書通読 第29週 2日目】ほこりまみれの「名器」を見出す神の眼差しと、恵みという「完成された名画」

士師記6章からは、臆病で自信のない青年の中に「未来の勇士」を見出す神様の温かい眼差しを。ガラテヤ書1章からは、イエス様の十字架という「完璧な恵み」に、自分の努力を付け加えることの無意味さと、純粋な福音の美しさを学びます。自分の弱さをそのまま差し出し、完全な恵みに安らかに身を委ねる感動を味わう一日です。

【旧約】士師記 6章:マスターの手が触れるとき

ミデヤン人の略奪に怯え、敵に見つからないように暗い「ぶどう酒の絞り場」の陰に隠れて、コソコソと麦を打っていた青年ギデオン。彼は自分に自信がなく、イスラエルを救うリーダーになろうなどとは微塵も考えていませんでした。

しかし、神の使いは彼にこう呼びかけます。「勇士よ、主はあなたとともにおられる。」

ギデオンは驚き、「私の家は一番弱く、私は一番若いのです」と必死に辞退します。今の自分の惨めな姿の、どこが勇士なのかと。しかし神様は、彼の「現在の弱さ」ではなく、神様が彼を通して成し遂げられる「未来の姿」を見ておられました。

ある有名な詩に『巨匠の手のふれ(The Touch of the Master's Hand)』というものがあります。

古ぼけてほこりまみれになり、弦も緩んだバイオリンがオークションにかけられました。誰も見向きもせず、「3ドル」という安い値で競り落とされそうになった時です。

白髪の老人が静かに前に進み出て、そのバイオリンのほこりを払い、弦をピタリと合わせ、弓を引きました。すると、天使が歌うような、息を呑むほど美しいメロディが会場いっぱいに響き渡ったのです。

曲が終わると、バイオリンの値段は一気に「3000ドル」に跳ね上がりました。古ぼけた木の箱の価値を変えたのは何だったのでしょうか? それは「巨匠(マスター)の手が触れたこと」でした。

ギデオンも、そして私たちも同じです。

「自分には力がない」「ふさわしくない」と、暗い絞り場でうずくまっているほこりまみれのバイオリンのような私たちに、神様は「わたしがあなたとともにいる」と御手を伸ばしてくださいます。

私たちの価値や力は、私たち自身の才能(木の材質)にあるのではありません。全能の神様(マスター)が私たちをその手に取り、奏でてくださる時、誰も想像できなかったような美しい勇士としての音色が響き始めるのです。

【新約】ガラテヤ 1章:名画にクレヨンで落書きをしない

ガラテヤ人への手紙1章で、パウロは冒頭から非常に強い口調で語り出します。「キリストの恵みによってあなたがたを召された方を、これほど早く離れて、異なる福音に移って行くのには驚いています。」

当時、ガラテヤの教会には「イエス様を信じるだけでは天国に行けない。割礼(ユダヤ教の儀式)を受け、ルールを守らなければ救われない」と教える偽教師たちが入り込んでいました。

私たちはつい、「イエス様が十字架で死んでくださったのはありがたいけれど、私も立派な行いをして、救われるための『足し』にしなければ」と考えがちです。しかしパウロは、人間の努力(行い)を救いの条件に付け加えることは、キリストの恵みを台無しにする恐ろしいことだと断言します。

想像してみてください。

世界で最も偉大な画家が、生涯をかけて一枚の最高傑作(名画)を描き上げました。彼はそれを「無償のプレゼント」としてあなたに贈ってくれました。その絵は、光の加減も色彩も、一筆の狂いもない完璧なものです。

しかし、それを受け取ったあなたが、「このままタダでもらうのは申し訳ない。私もこの絵に『自分の努力』を付け加えよう」と考え、ポケットから100円のクレヨンを取り出して、その名画の真ん中にグリグリと落書きを始めたらどうなるでしょうか。

あなたは絵を良くしたのではなく、画家の傑作を台無しにし、画家の愛と労力を侮辱してしまったことになります。

キリストの十字架は、神様が御子の命という血潮で描き上げた「完璧な救いの名画」です。イエス様が「完了した」と言われたその恵みに、私たちの不完全な「良い行い」や「ルールを守る努力(クレヨン)」を付け足す必要は一切ありません。

パウロが激しく怒ったのは、ガラテヤの人々が恵みという名画に、人間の行いというクレヨンで落書きをしようとしていたからです。私たちの行いは「救われるための条件」ではなく、完全に救われたことへの「感謝の表現」として、自然にあふれ出るものなのです。

今日一日の神様からの奨め

今日、もしあなたがギデオンのように自分の無力さや小ささを嘆いているなら、暗い絞り場から一歩踏み出し、あなたという楽器を神様(マスター)の御手にそのまま委ねてみてください。「わたしがともにいる」という約束だけを頼りにする時、あなたの弱さは神様の栄光を奏でる名器に変わります。

そして、神様の愛を勝ち取るために「もっと頑張らなければ」と無意識に握りしめている「クレヨン」があるなら、今日、それをそっと手放しましょう。あなたはすでに、キリストの十字架によって完全に赦され、愛され、受け入れられています。

自分の努力を付け足すのをやめ、ただ「ありがとうございます」と、この完璧な恵みの名画を両手で受け取る、深い安心と安息の一日を神様のために歩みだす(良いおこない)者となりますように。

時間に余裕のある方は⇩⇩⇩

The Touch of the Master's Hand

 

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