
「私」ではなく「あなた」の思いが成るように —— 忠実な奉仕とゲツセマネの祈り
この記事の目次
1. 民数記4章:目立たない務めこそ、神への「愛」の証し
幕屋(神様が宿る場所)を移動させる際、レビ人たちには驚くほど細かな役割分担が命じられました。重い板を運ぶ者、幕をたたむ者、聖なる器具を担ぐ者。 一見、地味で「誰でもいい仕事」のように思えるかもしれません。しかし、神様はそれを適当にやることを許さず、一人ひとりに責任を与えられました。
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解説のポイント: 私たちの奉仕も同じです。人目に触れる華やかな働きだけでなく、準備や片付け、誰にも気づかれない祈りなど、「神様のルール(秩序)に従って丁寧に行うこと」こそが、神様を恐れ敬う(畏敬の心を持つ)ということです。自分流のやり方で楽をするのではなく、神様の基準を大切にする姿勢を神様は見守っておられます。
2. ルカ22章:弱さを抱えたまま、主の「忠実」にすがる
この章には、人間の弱さが凝縮されています。一番弟子を自負したペテロの裏切り、誰が一番偉いかという弟子たちの醜い争い。しかし、そのただ中でイエス様だけが、血の汗を流しながら「私のみこころではなく、あなたのみこころが成りますように」と祈り、十字架への道を進まれました。
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解説のポイント: 私たちは「強くなってから神様に従おう」と思いがちですが、聖書が示すのは逆です。自分の弱さを認め、ボロボロになったペテロのような姿で主の前に立つとき、初めて主の十字架の恵みがどれほど大きいかを知るのです。私たちの救いは、私たちの頑張りではなく、イエス様の「最後までやり遂げる忠実さ」にかかっています。
神様が望んでおられること
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「自分流」を捨てて「主の秩序」に従うこと どんなに小さな務めであっても、自分勝手な解釈で済ませるのではなく、主を敬う心をもって、誠実に、丁寧に果たすことを望んでおられます。
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「自分の意志」を「主のみこころ」に重ねること 「私がこうしたい」という願い(わがまま)を、主の前に差し出すことを望んでおられます。自分の弱さをさらけ出し、「主よ、あなたのみこころを行わせてください」と祈る人を、主は決して見捨てず、その弱さを通してご自身の栄光を現してくださいます。


