◎神様の計画と、人間的思惑の違い・・・リビングストーンとモハット

 

 

ある長年勤めた老牧師の辞任

昔、スコットランドの田舎で、ある長年勤めた老牧師が辞任に追いやられました。

教会の役員の一人が「先生。いったいこの教会に先生がいらっしゃる間に何人がイエスキリストを信じて救われましたか?」と尋ねました。

実は庭師見習の少年がたった一人しか信仰を持たなかったのです。

でも、この老牧師は謙遜に笑顔でこう答えました。

「感謝なことに神様が働いて下さって一人の少年がイエス様を信じて救われました。神様がこの少年を用いられますように祈っています。」と。

この教会の役員たちは、 聖書に出てくる『5つのパンと2匹の魚』の時の弟子たちのように『5つのパンと2匹の魚』しかありません・・・と言ってしまったのです。

しかし、この老牧師は、イエス様が『5つのパンと2匹の魚』を用いて男だけで5000人以上の人たちの空腹を満たしたように神様に期待したのです。

ですから、たった一人しかという言葉を用いずに一人の少年を救いに導いてくださった神様に感謝してこの少年が神様に用いられるように神様に祈ったのです。
 しかし、牧師として大きく教会を成長させることできなかった責任が役員会で厳しく問われた結果辞任に追いやられました。

〇〇しかありません・・・」という信仰か、「この〇〇をお用い下さい」という信仰か、私たちにとっても大切な大きな違いです。

 でも、この後神様のなされた素晴らしい御業についてこの老牧師も教会の役員たちも知ることができませんでした。

神様の御計画と、人間的思惑の違い

その後、素晴らしいことが起こりました。

この一人の幼い庭師見習いの少年であったロバート・モファット(上の写真)は後日、宣教師となってアフリカのクルマン地方へ行って伝道し、神様の働きによるリバイバルを起こしました。

 実際、クルマン地方の全部族が救われ、現地のベチュアナランド語で聖書翻訳を成し遂げたのです。

神様の素晴らしい働きはそれだけにとどまりませでした。
 ロバート・モファットの娘がやがて結婚しましたが、そのパートナーもロバート・モファットの影響を受けてロバート・モファットと同じ意志を受け継ぎ宣教師として生涯をアフリカにささげました。

 彼はアフリカ奥地へと宣教網を拡大し、後の大きなアフリカ・リバイバルの礎を築き上げました。

 

ある田舎の老牧師の人間的に見た小さな働きを神様が豊かな実に実らせた。

彼の名は著名な宣教師であり、探検家でもあるリビングストン(上の写真)でした。

 過去の名も無きスコットランドの一老牧師の働きは人からはまったく賞賛を受けることはありませんでした。

しかし、神様にとっては素晴らしい働きのはじまりだったのです。

神様の素晴らしい御業は、

その後もとどまることなく海外でどんどん大きな実を結んでいったのです。

 

「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります」(ガラテヤ6:9)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠の思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書 3:11)

 

 私たちが神様のためになすことは、人からの称賛を受けるためではなく、神様の栄光をあらわすためであり、神様に喜んでいただくためです。

 この老牧師は、一生懸命働いたのに、多くの人が救われなかったことを悔やむことより、一人の少年がイエスキリストを信じ救われ、神様にすべてをゆだね歩もうとしていたことを神様に感謝したのです。

 クリスチャンの歩みの成功は、どれだけの結果を残したか、どれだけの成果を上げたかではなく、どれだけ神様と共に歩み、神様の喜ばれることを成したかです。

 この老牧師のように、名もなき後世に名前が残らない多くの無名のクリスチャンたちが、喜んで神様のために働き、神様の素晴らしいみわざを後世に残しているのです。

雪降る寒い日の一人のクリスチャンの働きが・・・

 私がイエスキリストを信じて救われたのは、冬の寒い凍るような雪の夜に、駅でトラクト(神様のことを分かりやすく記した小冊子)を手渡してくれたクリスチャンがいたおかげです。

名も知らない、顔も覚えていないけれど、本当に寒い寒い雪の中で、トラクトが雪で濡れないように身体でかばって笑顔で「ぜひ、これを読んで教会に行ってください。」と、喜びにあふれているように勧めてくれました。

CJN33 最初私は、少し離れたところでしばらく見ていました。

ほとんどの人が、寒いので手をポケットに入れたままで、手渡そうとしている読み物を全く無視して通り過ぎていました。

でも、さわやかにトラクトを配り続けていました。

私は、このクリスチャンの青年は、私が持っていないものを持っている。

そして、揺るがない確信を持っているように感じました。

その揺るがない確信を私も手にいれたいと思いました。

 

それから、しばらくして、私は思い切って教会に行きました。

そして、イエスキリストを救い主と信じ救われました。

わたしに読み物を手渡してくれた青年は、わたし自身がその後教会に行き救われたことを知りません。

このように、自分の働きの結果を直接見ることができないかもしれませんが、神様のために成す働きは神様が必ず用いてくださるのです。

 

 

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。     

                    (コリント人への手紙第一 15章58節)

5つのパンと2匹の魚の捧げもので5000人以上の人たちの空腹を満たした神様の御業は現在も・・・

 何千人という人々の空腹を満たすのに何の足しにもならないけれど、

イエス様に5つのパンと2匹の魚をささげた少年のように、私のようなちっぽけな者の働きでも、神様が大きく用いてくださることを願い確信して一歩でも半歩でも前に進んでいきたいものです。

一人の寝たきりのクリスチャンの祈りによる素晴らしい奇跡

昔、奈良の桜井市に南小糸さんというクリスチャンの女性がおらえれました。

彼女は、長年寝たきりでした。でも、祈りの人と言われていました。最初に初めて会ったときに祈ることはありませんか?と尋ねられてわたしは、結婚が決まっていたので、結婚が祝福されるようにお祈りくださいとお願いしました。

そして、1年くらいたって彼女にまたお会いする機会がありました。

するとわたしと会ってすぐ質問されました。「神様があなたの結婚をどのように祝福してくださっていますか?」と。

びっくりしました。1年前に初めて会って、15分くらいしか交わっていないのにそのときのお願いした祈りの課題をずっと祈ってくださっていたのです。

そして、神様がわたしの結婚を祝福してくださったいろいろなことを話しました。彼女はその一つ一つを神様に感謝してくださいました。

わたし自身、祈りのすさまじい力と神様の御力を覚えました。

祈っていても祈っている者にとっては、そのことについての神様の働きや励ましを見ることが出来なかったり実感できないことが多くあります。

でも、神様は生きておられます。わたしたちをいつも愛と恵み取り扱ってくださっています。そして祈る祈り一つ一つもずっとかえりみてくださっているのです。

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