アメイジンググレイス ジョン・ニュートンが大切にした2つの言葉 

アメイジング・グレイスの誕生

から250年前の1773年1月1日英国のオルニーの小さな教会で新しい讃美歌が初めて歌われました。

それは、新年を迎える礼拝のために作られた讃美歌『アメージング・グレイス』でした。

この讃美歌の作者は、ジョン・ニュートン牧師で、その時の新年の礼拝メッセージの聖書の箇所は、歴代誌第一17:16でした。

ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。

神、主よ。私がいったい何者であり。私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。」(歴代誌第一 17:16)

ここでダビデは、自分が数々の過ちを犯したどうしようもない愚かなものであることを悔い改めました。

このような神様から愛される価値なきものに対して、神様は神様の愛を変わる事なく注ぎ続けてくださったことを感謝しました、

この神様の『驚くべき恵み』に対してただ感謝するしかないと喜びました。

聖歌229番『驚くばかりの』  原詩の直訳の歌詞です。

驚くべき主の恵みよ、その響きのなんという甘美!

わたしのようなみじめな者をさえ救われました!

かって見捨てられていた私はいま神に見出され

私の目は見えなかったのに今は見えています!

私の心に恐れをおこされたのは主の恵み

しかもその恐れを取り除いてくださった

なんという恵みのとうとさ

私がはじめて主を信じたその瞬間の。

多くの危険や試み、罠を

私はすでにくぐり抜けてきました。

ここまで無事に導いてくださった主の恵み

その恵みがきっと私を天の故郷まで導くでしょう。

主は私に良きことを約束されました。

みことばこそ私の確かな希望。

主こそわが盾、私の分

私が生きる限り。

まことに、この身と心が衰えて

地上の生の終わるときにも

私は天の幕屋のうちに

喜びと平安を手にするでしょう。

ジョン・ニュートン生い立ち

ジョン・ニュートンは、1725年船乗りの家に生まれました。

敬虔なクリスチャンであった母親は、ジョン・ニュートンに真の神様について聖書から教え、祈りの素晴らしさを教えました。しかしその母は、彼が6歳の時に亡くなりました。

新しい母とは折り合いが悪く寂しさを非行で紛らわせ悪い遊びに溺れていました。

寄宿学校では虐待を受け、海軍に入って頑張ろうとしたのですが、一度外泊からの帰りが遅くなりそれが遅刻ではなく脱走と見なされ一番格下のランクまで落とされ過酷な下ばたらきをさせられ、何もかもやけっぱちになりました。

それで彼は、奴隷船で働くようになり、イギリスで奴隷を売買する奴隷船の船長にまでなりました。

彼は荒くれ者で、奴隷に対しても冷酷な扱いをしていました。

しかし手違いにより、彼も奴隷と同じ扱いを受けるようになり、大変な苦しい悪環境に置かれました。

父へ実情を伝える手紙を出し助けを求めたところ、父親の手配でその奴隷と一緒に収容されていたところから解放されることになりました。

そして家に帰るための長い長い航海がはじまりました。

そして彼は、退屈な長い時間を『一冊の本』を読むのに費やしました。

その本とは、『トマス・ア・ケンピス著の「キリストに倣う(ならう)」の解説本』でした。

でも彼は、神様を信じてはいませんでした。それどころか神様を信じるものを忌み嫌っていました。絶対に神様など信じないと強く反発していました。

もし神様がおられるとしたら・・・

でもある時、もしも神様がおられるとしたら「どうなるのだろうか」と考えるようになりました。

彼は、続けてその解説本を読み続けました。

家路につく航海の出港から2ヶ月後、船は激しい嵐に遭遇しました。もう船は沈むのを待っているそのような状態でした。

そして彼は船長から舵(かじ)を任されました。舵を握り必死で大きな波を避けながら、彼は6歳の時の母親から聞いた神様について深く考えました。

そして母と別れてからはじめて神様に悔い改めの祈りをしました。

「主よ、あわれんでください。

神の恵みを受けるに値せず、

救われる道は

もうないかもしれません。

しかしもし

助けていただけるのであれば

神様のために生きることを誓います。」

と、イエス様の十字架の時の片方の犯罪人のように「このような者がいたということを思い出してください。」と同じような心から悔い改めの祈りをしました。

その後、奇跡的に嵐はしずまりました。

そして最後の食糧がなくなるその日にアイルランドの港に到着したのです。

神は彼をあわれんで、彼の命を奇跡的に救ってくださいました。

「どうして、私が。」と神様の恵みが不思議でたまりませんでした。

そのとき、彼はその嵐が神の与えてくださったチャンスだと確信しました。それで、6歳の時に亡くなった母親が残してくれていた聖書を熱心に読み始め、最初はますます自分の罪、神様に対する罪の大きさ深さに苦しみ悶えました。

しかし、ついに彼は『真理』を見つけました。

 

イエスキリストが、自分の罪のために身代わりに十字架で死に甦った救い主と確信しました。そして心からイエスキリストを救い主と信じ受け入れました。

そして、クリスチャンとなって全く別の人生を歩みだしたのです。

彼は悔い改め、一転して奴隷も神様が愛しておられる人として親切に接するようになったばかりか、さらに船を降りて、神様にお仕えするようになったのです。

そんな彼が、

「こんな愚かな、どうしようもない者をも神は救ってくださった」という『おどろくばかりの恵み(アメージンググレース)』をこころから感謝し賛美したのが、この讃美歌です。

彼は、やがて神学校で学び、教会の牧師となり、多くの讃美歌を書き、死ぬまでこの「神のくすしき恵み」を語り続けました。

この曲は、かっての彼がひどい仕打ちをしていた奴隷たちの間でも、黒人霊歌として受け入れられ、奴隷制度廃止の働きの一つの種となっていきました。

一人の迫害する側の真の悔い改めは、しいたげられている人々の心にも、神のゆるしの深さとともに、響きわたっていったのです。

その「恵み」は、教会に満ちあふれ、それにとどまらずにあふれだし、エルビスプレスリーが歌ってグラミー賞を受賞し、一躍、世界の人々にも愛され、さまざまな思いをこめて歌われるようになったのです。

ジョン・ニュートンの説教は、洗練されていませんでした。しかし、他の牧師は罪を指摘するだけでしたが、

ジョン・ニュートンは、人々の側に立ち、自分の弱さや失敗を共有し、わかりやすい言葉で「神の愛と恵み」を説き続けました。そして、硬い心を砕き、傷ついた心を癒すことをいつも大事にしました。

讃美歌アメージング・グレイスを発表した当時は、評価が低く無学な人には理解されやすいが、もっと高尚な詩にすべきという評価でした。発表されてから100年くらい人々から顧みられない讃美歌でした。

しかし、ジョン・ニュートンが天に召されて30年たった頃。アメリカで詩にぴったり合った素晴らしいメロディーと出会い、多くの人々に歌われ親しみを持たれるようになりました。

わたしは、愛される価値なき愚かなどうしようもない罪人です。

神様は、愛される価値なきものを愛してくださる恵みと愛に満ちた方であり、神が人となって十字架で尊きいのちを捨ててくださった救い主なのです。

ジョン・ニュートンが大切にしていた『2つの言葉』とは?

オバマ元大統領が多くの聴衆の前でこの言葉を語り、アメイジンググレイスをみんなで賛美したそうです。オバマ元大統領の言葉とは・・・

「神の恵みは、獲得するものではありません。

神の恵みは、報酬ではないのです。

わたしたちはその神の恵みを受け取るに値するものではありません。

神の恵みとは無償で注がれる神の慈しみです。」と。

晩年、身体が衰え視力が低下したジョン・ニュートン牧師が語った大切な2つの言葉があります。

『わたしの記憶は薄れていくが、

鮮明に覚えていることが2つだけある。

(1)わたしが大いなる罪人であるということと、

(2)キリストが偉大な救い主だということです。』

 

20 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。

21
それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。(ローマ5:20-21)

 

「こんな愚かな自分のような者までも神様は愛して救ってくださる、

その神の恵み』」に、ただおどろくばかりです。

 

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