【聖書通読第6週4日目】真実を語り、弱いものを守り、主に導かれて歩む信仰(出エジプト記22‐23章/マルコ1章)

この記事の目次

真実を語り、弱いものを守り、主に導かれて歩む➡正義とあわれみが形になる信仰

出エジプト記22章

出エジプト記22章は、神の民が「自由になったあと、どう生きるか」を具体的に教える章です。

盗みや損害の償い、預かり物の扱い、弱い立場の人への配慮など、生活の現場に直結する規定が並びます。

特に目立つのは、寄留者(よそ者)や、やもめ、みなしご、貧しい人への取り扱いです。神は「あなたがたもエジプトで寄留者だった」と思い起こさせ、苦しんだ経験を他者へのあわれみに変えるよう求められます。

また、偶像礼拝や神への冒涜を退け、神を恐れる心を保つことも命じられます。

神様が望まれるのは、信仰を礼拝だけで終わらせず、日常の正直さと責任、弱い人を守る具体的な優しさとして実らせることを望んでおられるのです。あなたの周りで「声の小さい人」を見落としていないか、と神は問いかけておられます。


出エジプト記23章

出エジプト記23章は、神の民が社会の中で「正しさ」と「憐れみ」をどう両立させるかを教えます。

偽りのうわさを流さないこと、裁判で不正な証言をしないこと、多数派に流されて曲げないことが語られます。正義は、空気や損得で決めてはいけない、ということです。

同時に、敵の家畜を見つけたら返すなど、憎しみの連鎖を断つ行いも命じられます。

さらに、安息年・安息日の規定、三つの祭り(過越・七週・仮庵)が示され、生活の中心に「主を覚えるリズム」を置くよう導かれます。

後半では、神が御使いを送り、約束の地へ導くと約束され、偶像と妥協しないよう警告されます。

神様が望まれるのは、真実を語り、公正を守り、憎しみを育てず、礼拝のリズムで心を整えながら、神様の導きに従うことです。あなたは今、何に流され、何と妥協しそうでしょうか。

マルコの福音書・全体の簡単な説明

マルコの福音書は、イエス・キリストが「どんなお方か」を、短い場面の連続で力強く描く福音書です。

言葉の特徴は、テンポが速いことです。

出来事が次々に起こり、「すぐに」「そして」と進むので、物語として読みやすいです。

中心テーマは、イエスキリストが「神の御子」であり、同時に「すべての罪の苦しみを引き受けるしもべ」であることです。

人々は、奇跡や権威ある教えを見て驚きます。

しかし、主は人気を集めるために来られたのではありません。

罪とサタンの悪の力を打ち破り、十字架でわたしたちの罪の刑罰の身代わりとなり、尊きいのちをすててくださいました。そして、復活によって救いの完成を証明するために来られました。

マルコは、弟子たちの弱さも隠しません。

分からない。怖い。逃げたい。眠ってしまう。言い訳する。

そういう姿が出てきます。

それでも主は、弟子たちを見捨てず、呼び、教え、共に歩ませます。

ここに希望があります。

また、マルコは「従うこと」の意味を鋭く問います。

主を信じるとは、知識だけではなく、主の御手に自分のすべてを預けることです。

とくに後半で、主はエルサレムへ向かい、十字架の道をはっきり示されます。

栄光への近道ではなく、神のみこころへの道です。

マルコを通読すると、主がどれほど現実の痛みに近づき、どれほど真剣に救いを成し遂げられたかが見えてきます。

そして最後に、復活が「敗北の終わり」ではなく、「救いの完成の始まり」であると心に刻まれます。


マルコの福音書1章

マルコ1章は「福音の始まり」です。

まずバプテスマのヨハネが悔い改めを宣べ伝え、主の道を備えます。

イエスキリストはバプテスマを受け、天が開かれ、父なる神様から「あなたはわたしの愛する子」という宣言が与えられます。

その後、荒野で試みに会われても、主は退かず、サタンの試みに対して『神の御言葉で勝利された。

ガリラヤで「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語り始めます。

主は弟子たちを召し、権威ある教えを語り、汚れた霊を追い出し、病を癒やします。

さらに、忙しい中でも祈りの場所に退き、父なる神のみこころを確かめて進まれます。

この章は、主が言葉だけでなく行いでも、人を解放し救うお方だと示しています。

 

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