
この記事の目次
真実を語り、弱いものを守り、主に導かれて歩む➡正義とあわれみが形になる信仰
出エジプト記22章
出エジプト記22章は、神の民が「自由になったあと、
盗みや損害の償い、預かり物の扱い、弱い立場の人への配慮など、
特に目立つのは、寄留者(よそ者)や、やもめ、みなしご、
また、偶像礼拝や神への冒涜を退け、
神様が望まれるのは、信仰を礼拝だけで終わらせず、
出エジプト記23章
出エジプト記23章は、神の民が社会の中で「正しさ」と「
偽りのうわさを流さないこと、裁判で不正な証言をしないこと、
同時に、敵の家畜を見つけたら返すなど、
さらに、安息年・安息日の規定、三つの祭り(過越・七週・仮庵)
後半では、神が御使いを送り、約束の地へ導くと約束され、
神様が望まれるのは、真実を語り、公正を守り、憎しみを育てず、
マルコの福音書・全体の簡単な説明
マルコの福音書は、イエス・キリストが「どんなお方か」を、
言葉の特徴は、テンポが速いことです。
出来事が次々に起こり、「すぐに」「そして」と進むので、
中心テーマは、イエスキリストが「神の御子」であり、同時に「すべての罪の
人々は、奇跡や権威ある教えを見て驚きます。
しかし、主は人気を集めるために来られたのではありません。
罪とサタンの悪の力を打ち破り、十字架でわたしたちの罪の刑罰の身代わりとなり、尊きいのちをすててくださいました。そして、
マルコは、弟子たちの弱さも隠しません。
分からない。怖い。逃げたい。眠ってしまう。言い訳する。
そういう姿が出てきます。
それでも主は、弟子たちを見捨てず、呼び、教え、
ここに希望があります。
また、マルコは「従うこと」の意味を鋭く問います。
主を信じるとは、知識だけではなく、
とくに後半で、主はエルサレムへ向かい、
栄光への近道ではなく、神のみこころへの道です。
マルコを通読すると、主がどれほど現実の痛みに近づき、
そして最後に、復活が「敗北の終わり」ではなく、「
マルコの福音書1章
マルコ1章は「福音の始まり」です。
まずバプテスマのヨハネが悔い改めを宣べ伝え、
イエスキリストはバプテスマを受け、天が開かれ、父なる神様から「
その後、荒野で試みに会われても、主は退かず、サタンの試みに対して『神の御言葉で勝利された。』
ガリラヤで「
主は弟子たちを召し、権威ある教えを語り、汚れた霊を追い出し、
さらに、忙しい中でも祈りの場所に退き、
この章は、主が言葉だけでなく行いでも、
