クリスチャンへの励まし: 「地上では理解できないけれど天国で理解できるノート」に理解できないことを今預ける平安

この記事の目次

クリスチャンへの励まし: 「天で理解できるノート」に預ける平安

はじめに:私たちは「すべて」を知らなくていい

日々、聖書を読み、祈り、主と共に歩もうとする中で、私たちは時として大きな壁にぶつかります。「なぜ、善意で生きようとする人がこれほど苦しむのか」「聖書のこの箇所とあの箇所はどうしても矛盾しているように見える」「祈っているのに、事態は悪化するばかりではないか」……。

真面目に信仰を持とうとすればするほど、私たちの「理解」の範疇を超えた出来事に心がざわつき、納得できる答えを探して彷徨ってしまうことがあります。しかし、今日、あなたに一番にお伝えしたいのは、「神様のなさることを、今すべて理解できなくても大丈夫だ」という解放のメッセージです。

1. 「理解」の前に「信頼」を置く

現代の私たちは、何でも説明がつき、納得できることを「正しい」としがちです。

しかし、信仰の世界においては、「理解(Understand)」よりも先に「信頼(Trust)」があります。

聖書は、単なる知識の集積や倫理の教科書ではありません。それは、天地を創造された全能の神様の「約束の書」であり、一分一厘の狂いもない「神の言葉」です。私たちの小さな脳細胞で、宇宙の広大さと神様の深遠な計画をすべて理解しようとすること自体、実のところ、無理な話なのです。

「天が地よりも高いように、わたしの道はあなたがたの道よりも高く、わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書 55:9)

もし、人間が神様のすべてを理解できるとしたら、その神様は人間と同じ程度の存在になってしまいます。私たちが理解できないほど大きな計画の中に生きているということ自体が、神様の神聖さと偉大さの証明なのです。

2. 「天で理解できるノート」という平安

私は、どうしても理解できない矛盾や、答えの出ない苦しみに出会ったとき、わからないこと理解できないことを一冊の「地上では理解できないけれど天国で理解できるノート」を作っています。

「神様、この出来事の意味は今の私には全く分かりません。今の知恵では到底納得できません。ですから、この問いは一旦このノートに書き留めて、天国へ行った時の楽しみに取っておきます。その時、あなたと顔と顔を合わせて、その答えを教えてください」

そう祈って、その問題を神様に預けてしまうのです。

これは「逃げ」ではありません。むしろ、「私は陶器であり、あなたは陶器師です」という、最高レベルの信仰の告白です。

「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしの知るところは、今は一面的であるが、その時には、……わたしも完全に知るようになる。」(第一コリント 13:12)

この御言葉にあるように、地上での私たちは、いわばパズルの「一欠片」だけを見ているようなものです。全体像が見えないからといって、その絵が間違っているわけではありません。残りのピースは、天国で神様と一緒に埋めていけばいいのです。

3. 「聖書が正しい」という不動の土台

私たちの理解や感情は、天候のように移り変わります。昨日は確信に満ちていても、今日は不安で押しつぶされそうになるかもしれません。

しかし、神様の言葉は、びくともしません。

「私がどう感じるか」「私がどう理解するか」を基準にするのではなく、「神様がどう仰っているか」を基準にしましょう。

たとえ自分の状況がどれほど悲惨に見えても、聖書がわたしは決してあなたを離れず、あなたを見捨てない」と言うなら、それが「事実」です。たとえ自分の心が自分を責めても、聖書が「キリストにある者には罪に定められることはない」と言うなら、それが「真理」です。

私たちが理解できない。しかし、聖書は正しい。この姿勢こそが、私たちの魂を嵐の中から守る「いかり」となります

4. 十字架と復活:それだけで十分な理由

私たちが「天のノート」に多くの問いを預けても、なお平安でいられる理由が一つあります。それは、「十字架と復活」という、動かしようのない愛の事実を既に知っているからです。

神様は、最愛の独り子を私たちのために犠牲にするほど、私たちを愛されました。

そして、死を打ち破って甦らせるほどに力強いお方です。

この十字架の愛と、復活の勝利さえ握りしめていれば、あとの「分からないこと」はすべて枝葉に過ぎません

「神様がここまで私を愛してくださったのだから、今見えているこの苦しみにも、私の知らない善き目的があるに違いない」

そう信じることができるのです。十字架を見上げるとき、私たちは「理解」の必要性から解放され「愛されている」という事実の中に安らぐことができます。

結びに:重荷を下ろして歩み出す

愛するクリスチャンの兄弟姉妹の皆さん。

今、

何かの答えが出なくて苦しんでいませんか?

聖書の言葉を納得できない自分を、不信仰だと責めてはいませんか?

今日、その「問い」を一旦閉じて、神様に手渡しましょう。

「神様、私はわかりません。でも、あなたは正しい。あなたは私を愛しておられる。それで十分です」

そう告白した瞬間、あなたの心の荷物はふっと軽くなるはずです。 私たちの神様はあなたの「理解」を求めているのではなくあなたの「信頼」を、そしてあなたとの「交わり」を待っておられます。

今はまだ、鏡におぼろげに映るものを見ているような日々かもしれません。けれど、その向こう側には、あなたを誰よりも理解し、愛し、最高の計画を持って導いておられる主が立っておられます。

天国のノートを開くその日まで、この「分からないけれど、愛されている」という十字架と復活の事実を確信とし、誇りを持って握りしめて歩んでいきましょう。

主の豊かな平安が、あなたの心に満ちあふれますように。

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