
この記事の目次
『 泣いていますか 』
今日も また 一つの いのちが 滅んでゆく
笑いあえる 友も このままでは 滅んでゆく
目の前を 長い 滅ぶ 魂の 流れ
行きつく所は 永遠の(とわの)叫びが こだまする所なのに
あなたは 泣いていますか?
流されてゆく 友のために
あなたは 何を していますか?
目の前の いのちのために
流されてゆく 流れは 早くて
彼らの 叫びが あなたには 聞こえませんか?
あなたは 泣いていますか?
流されてゆく 友のために
あなたは 何を していますか?
目の前の いのちのために (作者不詳)
この詩の問いはとても鋭くて、同時にとてもあたたかい問いだと思います。
責めるためではなく、眠ってしまいがちな私たちの心を起こし、主の心へ引き戻すための問いです。
1. まず、救われた私たちの立場をはっきりさせます。
私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって救われました。
罪は赦されました。
永遠のいのちを受けました。
神の子とされました。
この救いは、私たちの努力ではなく、恵みによる贈り物です。
だから私たちは、
「救われるために福音を語る」のではありません。
「救われたからこそ福音を語る」のです。
ここが私たちの足場です。
罪責感や義務感だけで動くのではなく、
救いの喜びと感謝に立って動くことが出来るのです。

2. でも同時に、私たちの目の前には“流れ”がある。
詩はこう描きます。
「目の前を 長い 滅ぶ 魂の 流れ」。
これは恐怖で脅すための言葉ではなく、
現実を直視しなさいという愛の警鐘です。
「笑いあえる友も このままでは 滅んでゆく」。
「家族も、知り合いも、同じ流れの中にいる」。
この痛みは、
真剣に福音を信じている人ほど深く感じる痛みです。
3. 「あなたは泣いていますか?」は、主の心への招待です。
この詩の中心は、
“あなたは何をしているか”より前に
“あなたは泣いているか”を問います。
ここが大切です。
涙のない活動は、
いつか空回りしやすい。
怒りや裁きや疲労に変わりやすい。
でも主は、
まず私たちの心を整え、
ご自身の憐れみへつないでくださいます。
涙とは、
神の愛が私たちの心を通って流れているしるしです。
4. 「あなたは何をしていますか?」の答えは、3つの方向で明確にできます。
① 祈り。
最初の働きは祈りです。
流されていく人の名前を、具体的に祈ることです。
感情が追いつかない日でも祈ることです。
「主よ、あなたがこの人を愛しておられることを信じます」と置き続けることです。
祈りは小さく見えて、実は最前線です。
② 近くの人への愛と証し。
福音は、言葉だけでなく人格を通して届きます。
日常のやさしさ。
聞く姿勢。
赦す姿。
誠実さ。
苦しい時に主により頼む姿。
それが“説明できる福音”の土台になります。
そして機会が与えられたら、
シンプルに話せばいいのです。
「私は弱いけれど、イエス様に支えられてきた」。
「十字架と復活が私の希望になった」。
「あなたのことを大切に思うから、これを伝えたい」。
押しつけではなく、
愛の表現として語る。
これが一番強い証しです。
③ 教会と宣教への協力。
自分一人ですべてを背負わなくていい。
教会は“救いの共同体”です。
伝道は“チームの働き”です。
祈りで支える人。
迎え入れる人。
寄り添う人。
説明する人。
支援する人。
それぞれの役割が、一つの福音の器になります。
5. この詩(泣いていますか)は、“絶望の歌”ではなく“希望の呼び声”です。
詩の背景には、確かに重い現実があります。
でも結論は絶望ではありません。
なぜなら、
福音には力があるからです。
十字架と復活は、神がすでに勝利を宣言されたしるしだからです。
私たちは
“負け戦を必死に覆す人”ではありません。
“すでに勝利を与えられた福音を運ぶ人”です。
だから伝道は、
ビクビクしながらやるものではなく、
希望を携えて進むものです。
6. クリスチャンへの励まし。
あなたの涙は無駄ではありません。
あなたの祈りは空しくただ消えていくものではありません。
あなたの小さな優しさは、主の手の中で用いられます。
一度に大きなことができなくてもいい。
今日できる小さな一歩でいい。
・一人の名前を祈る。
・一通のメッセージを送る。
・相手の話を遮らずに聞く。
・教会に誘う勇気を祈る。
・主が開いてくださる機会を待つ。
それで十分です。
7. この詩に沿った“短い祈り”
尊き父なる神様。
私を責めるためではなく、目を覚まさせるために
この問いを与えてくださったことを感謝します。
あなたが私を救ってくださったように、
私の愛する人々にも恵みを注いでください。
私の心にあなたの憐れみを満たしてください。
祈る力をください。
愛する力をください。
語るべき時に語る勇気をください。
福音の希望を、私の生活からあふれさせてください。
イエスキリストの御名によってお祈りします。
アーメン。
まとめ。
この詩が私たちに問うのは、
恐れではなく愛です。
義務ではなく憐れみです。
焦りではなく希望です。
救われた者の立場とは、
“安心して座り込む場所”だけではなく、
“教会とともに福音を運ぶ出発点”です。
あなたがもし
「泣けていない」と感じる日があっても、
その正直さごと主に持っていってください。
主は、
私たちの心をもう一度あたため、
ご自身の愛の涙へ参加させてくださいます。
『 主我を愛す 』のメロディーで・・・
「主われを愛す」替え歌もどき(歌う場合は字余り字足らず)・・・
※出来る限り歌詞の字数など合わせていますが、字余りであったり字足らずであったりで実際には替え歌として歌いづらいと思いますが、上の伴奏を聞きながら替え歌歌詞を歌うのではなく、こころで想いながら歌詞を見て下されば感謝です。
1番
今日もまた ひとり
主を知らずに
笑い合う 友も
流れにのまれ
サビ
主は いのち救う
主は いのち救う
主は いのち救う
十字架のゆえに
2番
あなたは 泣くか
友のために いま
あなたは 祈るか
目の前のために
サビ
主は いのち救う
主は いのち救う
主は いのち救う
十字架のゆえに
3番
福音の 力
今も 変わらず
よみがえりの主
あなたを招く
サビ
主は いのち救う
主は いのち救う
主は いのち救う
十字架のゆえに
この讃美歌411番「主我を愛す」の替え歌歌詞のの中心メッセージ
サビの「主はいのち救う/十字架のゆえに」が核です。
ここで言う“救い”は、単なる気休めではなく、
-
罪の赦し(神との関係の回復)
-
心の暗闇から光へ(生き方の方向転換)
-
死を越える希望(永遠のいのち)
を含む、聖書が語る救いです。
御言葉(核)
-
「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)
-
「私たちの罪のために死なれ…三日目によみがえられた。」(Ⅰコリント15:3–4)
-
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された…」(ヨハネ3:16)
1番の解き明かし
「今日もまた ひとり/主を知らずに…流れにのまれ」
ここは、“楽しそうに見える現実”の裏にある、魂の危うさを見ています。
人は笑っていても、心の深いところでは「意味」「赦し」「死の恐れ」「孤独」を抱えていることがあります。
たとえ
川辺で仲間同士が笑い合っている。
でも、足元は少しずつ深くなっていて、本人は気づかないまま流れが速くなる。
外から見ると「楽しそう」でも、実は「流れにのまれ」ていくことがある――。
この賛美は、その現実を責めるのではなく、**“救いが必要だ”**と静かに告げています。
御言葉(1番に合う)
-
「この世とこの世の欲とは過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。」(Ⅰヨハネ2:17)
-
「世は知恵によって神を認めることができなかった…」(Ⅰコリント1:21)
-
「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5)
2番の解き明かし
「あなたは泣くか/友のために…あなたは祈るか」
ここで賛美は、聞き手にやさしく問いかけます。
伝道は“ノルマ”ではなく、愛の涙から始まるということです。
たとえ
火事の家の前で、消防車が来るのを待っている人がいる。
その人が中にいる家族のために必死に叫び、呼び、できることをするのは、「責任感」以上に「愛」があるからです。
同じように、福音を知らない友のために泣き、祈ることは、愛の自然な反応です。
御言葉(2番に合う)
-
「収穫は多いが、働き手が少ない…収穫の主に働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37–38)
-
「私は…大きな悲しみと絶え間のない痛みを心に抱いています。」(ローマ9:2)※同胞の救いを願うパウロの嘆き
-
「まず…すべての人のために…祈り…願い…とりなし…感謝をささげなさい。」(Ⅰテモテ2:1–4)
3番の解き明かし
「福音の力/今も変わらず/よみがえりの主/あなたを招く」
ここで希望が“主観”から“客観”へ移ります。
「私が頑張って救う」のではなく、福音そのものに力がある。
そして、救いの中心は「復活の主が招く」こと。
たとえ
暗い部屋で、私たちは懐中電灯を握りしめて「明るくなれ」と祈るようなことをします。
でも本当は、部屋のスイッチを入れればいい。
福音は、**“スイッチの光”**です。
人の心を根っこから変えるのは、説得の上手さより、十字架と復活の事実です。
御言葉(3番に合う)
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「私は福音を恥とは思いません。福音は…救いを得させる神の力です。」(ローマ1:16)
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「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく…」(黙示録3:20)
-
「あなたがたに平安があるように。」(ヨハネ20:19)※復活の主が恐れの弟子たちに来られた場面
サビ「十字架のゆえに」の福音
ここはメッセージの“ど真ん中”です。
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救いの根拠は私の善行ではなく、キリストの十字架。
「あなたが頑張ったら救う」ではなく、「十字架のゆえに救う」。 -
だから、罪の深い人ほど希望がある。
赦しは“薄めた慰め”ではなく、血による代価。
御言葉(サビに直結)
-
「この方(キリスト)は…十字架によって成し遂げられた贖いによって…」(ローマ3:24–25 要旨)
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「主は…私たちの罪をその身に負われた。」(Ⅰペテロ2:24)
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「ほかのだれによっても救いはありません。」(使徒4:12)

