【聖書通読 第25週 1日目】真の指揮官への服従と、純潔を保つ「新しいパン」

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【聖書通読 第25週 1日目】真の指揮官への服従と、純潔を保つ「新しいパン」

説明文:
いよいよ約束の地での戦いが始まる直前、ヨシュアの前に現れた「主の軍の将軍」を通して人生の主導権を神様に明け渡すことを学びます。同時に、パウロが語る「パン種」の例えから、私たちの心や共同体に潜む小さな罪を放置しない、愛ゆえの厳しさと純潔の大切さに触れる一日です。

【旧約】ヨシュア記 5章

ヨルダン川の奇跡を越え、いよいよ約束の地カナンでの戦いが目前に迫りました。しかし、神様が最初に命じたのは「武器を取って突撃せよ」ではなく、「立ち止まって割礼を受けなさい」ということでした。
敵の陣地のすぐ目の前で、すべての成人男性が数日間動けなくなる割礼を行うことは、軍事的に見れば「無防備になる自殺行為」です。しかし、神様はあえてそれを命じました。「あなたたちの戦力や人間の知恵に頼るのではなく、完全にわたしに寄り頼め」という信仰のテストだったのです。
そして戦いの直前、ヨシュアの前に抜き身の剣を持った「主の軍の将軍」が現れます。ヨシュアが「あなたは味方か、敵か」と問うと、将軍は「いや、私は主の軍の将軍として来た」と答え、ヨシュアに履物を脱ぐよう命じました。
これは、「私があなたの計画の助っ人(味方)になるのではない。私こそが全体の総指揮官だから、あなたは自分の権利や立場(履物)を手放して従いなさい」という宣言です。
あるベテランの登山家が、未踏の雪山に挑んだときのことです。彼は自分の経験を過信し、地元のベテランガイドの忠告を無視してルートを変えました。結果、激しい吹雪に見舞われ遭難しかけます。その時、ガイドが命がけで彼を見つけ出し、こう言いました。「もし生きて帰りたいなら、これからはあなたの意見は一切言わず、私の足跡だけを黙って踏んでついてきなさい」。登山家はプライドを捨て、ガイドに完全に命を預けたことで、無事に下山できました。
私たちの人生にも、自分の経験や計画(履物)を脱ぎ捨て、「神様、あなたが私の人生の指揮官です。私はただ、あなたの足跡に従います」と完全降伏すべき時があります。自分の強さを捨てて神様に主導権をお返しすること、それこそが最も確実な勝利への第一歩なのです。

【新約】第一コリント 5章

ヨシュア記で「神への完全な服従」を見たように、第一コリント5章では「罪に対する徹底的な姿勢」が語られます。
当時のコリント教会では、信者の一人が異邦人でさえ顔をしかめるような重大な性的不品行を行っていました。しかし驚くべきことに、教会の人々はそれを悲しむどころか、「私たちはこんな罪さえも許せるほど寛容で、愛に溢れている」と勘違いし、高ぶっていたのです。
パウロはこれに対し、「少しのパン種(イースト菌)が、生地全体を膨らませることを知らないのか」と厳しく叱責し、その者を交わりから除くよう命じます。
ある医師が、患者の肺に小さな初期のガン細胞(腫瘍)を見つけました。患者は「先生、こんな小さなものなら、痛い手術は嫌だから放っておいてください」と言いました。しかし医師は、「いや、これは放置すれば確実に全身に転移し、あなたの命を奪います。痛みを伴っても、今すぐ切除しなければなりません」と厳しく告げました。患者の命を本気で愛しているからこそ、医師は「まあいいよ」と甘い言葉をかけず、メスを握るのです。
教会や個人の心の中に潜む「隠れた罪」も同じです。パン作りで、ほんの数グラムのイースト菌を生地に混ぜて一晩置くと、翌朝には生地全体が見違えるほど大きく膨らみ、もう元には戻せません。「これくらいの罪なら大丈夫だろう」「誰も見ていないから」と小さな罪を容認し続けると、それはやがて心全体を蝕み、神様との美しい関係を壊してしまいます。
パウロは「古いパン種を捨て去りなさい。私たちの過越の小羊であるキリストが、すでに犠牲となられたからです」と語ります。イエス・キリストが十字架で流された尊い血によって買い取られた私たちだからこそ、自分の心の中にある小さな罪の芽に敏感になり、それを神様の前に告白する必要があるのです。

今日一日の神様からの奨め

今日は、あなたの人生の「運転席」に誰が座っているか、そっと確認してみてください。もし、自分でハンドルを握りしめて不安になっているなら、今、車を支配するすべての権利を「主の軍の将軍」であるイエス様に手渡しましょう。
また、心の中に「これくらいなら」と見過ごしている小さな罪(パン種)があるなら、イエス様の十字架の前に差し出しましょう。自分の力を手放し、神様の清さに包まれて歩む、軽やかで平安な一日となりますように。

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