
「新しく生まれる」とはどういうことですか
この記事の目次
ヨハネ3章をわかりやすく読む
「新しく生まれなければならない。」
イエス様のこの言葉を初めて聞く人は、きっとこう思うでしょう。
「どういう意味ですか。」
「もう一回赤ちゃんになるということですか。」
「そんなこと、できるはずがないではありませんか。」
実際、ヨハネ3章に出てくるニコデモも、同じように戸惑いました。
彼は聖書をよく知っている人でした。
まじめで、宗教的にも立派で、人から見れば「しっかりした信仰者」に見える人でした。
そんなニコデモに対して、イエス様は言われたのです。
「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
これはとても大切な言葉です。
なぜならこの言葉は、ニコデモだけでなく、私たち一人ひとりにも向けられているからです。
イエス様はなぜ「新しく生まれなければならない」と言われたのか
まず心に留めたいのは、この言葉が、悪名高い人に語られたのではないということです。
人から「ひどい人だ」と言われている人ではなく、むしろ立派な人に語られました。
ニコデモは、いい加減な人ではありませんでした。
まじめでした。
信仰的でした。
知識もありました。
けれど、そのニコデモに対して、イエス様は「新しく生まれなければならない」と言われたのです。
ここからわかるのは、**良い人であることと、神の国に入ることは同じではない**ということです。
私たちは時々、
「人に迷惑をかけていないから大丈夫」
「悪いことはしていないから大丈夫」
「それなりにまじめに生きているから大丈夫」
と思います。
でもイエス様は、外側だけではなく、内側の問題を見ておられます。
人の心の中心。
神様に向いているかどうか。
そこを見ておられるのです。
「新しく生まれる」とは、どういう意味なのか
では、「新しく生まれる」とは何でしょうか。
それは、もう一度お母さんから生まれるという意味ではありません。
ニコデモも最初はそう受け取りましたが、イエス様はそういう意味で言われたのではありませんでした。
「新しく生まれる」とは、神様によって心が新しくされることです。
今まで神様から離れていた人が、神様に向かうようにされる。
今まで自分中心に生きていた人が、神様を見上げるように変えられる。
今まで罪の中にいた人が、神様のいのちに生かされる。
それが「新しく生まれる」ということです。
たとえるなら、古い家の壁紙だけを張り替えることではありません。
家の土台から直されるようなことです。
表面を少しきれいにするだけではなく、根っこのところから新しくしていただくことなのです。
ですから、「新しく生まれる」とは、ちょっと気分が変わることではありません。
少し前向きになることでもありません。
神様がその人の内側に新しいいのちを与えてくださることです。
なぜ人には「新しく生まれる」ことが必要なのか
ここで大事なのは、なぜそんなことが必要なのか、ということです。
それは、人が神様から離れたままだからです。
人はまじめでも、神様から離れたままでいることがあります。
やさしくても、神様なしに生きていることがあります。
立派に見えても、心の中心では自分が主人になっていることがあります。
聖書はそれを「罪」と呼びます。
罪というと、すぐに大きな悪事を思い浮かべるかもしれません。
でも聖書が語る罪は、もっと深いものです。
神様を神様とせず、自分中心に生きることです。
そこから、迷いが生まれます。
不安が生まれます。
空しさが生まれます。
どこかで、「このままでいいのだろうか」という思いが出てきます。
そして大事なことは、人は自分の力だけでは自分を新しくできないということです。
人は努力できます。
我慢もできます。
少し行いを変えることもできます。
でも、心の根っこを新しくすることは、自分ではできません。
だからこそ、神様の恵みが必要なのです。
神様はどのようにして人を新しくしてくださるのか
イエス様は、「御霊によって生まれる」と言われました。
これは、神様の御霊が働いて、その人の内側に新しいいのちを与えてくださる、ということです。
つまり、新しく生まれることは、人間の頑張りの結果ではありません。
神様の働きです。
では、その出発点は何でしょうか。
それは、神様の愛です。
ヨハネ3章には、あの有名な言葉があります。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」
ここが福音の中心です。
神様は、私たちが立派になってから愛されたのではありません。
罪のない人だから愛されたのでもありません。
神様から離れ、迷い、暗闇の中にいる私たちを、それでも愛してくださいました。
だから、ひとり子イエス・キリストを与えてくださったのです。
イエス様は、私たちの罪を背負って十字架にかかってくださいました。
私たちが受けるべき裁きを、身代わりに受けてくださいました。
そして、よみがえられました。
だから、この方を信じる者には、新しいいのちが与えられるのです。
新しく生まれるとは、
自分を作り直すことではなく、キリストによって新しいいのちを受けることなのです。
私たちはどう応答したらよいのか
では、私たちはどうすればよいのでしょうか。
まず、自分のままでは足りないことを認めることです。
「自分は大丈夫です」
「自分の力で何とかします」
ではなく、
「神様、私はあなたの恵みが必要です」
と認めることです。
次に、イエス様を救い主として受け入れることです。
この方は、ただ立派な先生ではありません。
あなたのために来てくださった救い主です。
あなたを新しくすることができるお方です。
そして、神様に求めることです。
「神様、私を新しくしてください。」
「私に新しい心を与えてください。」
「イエス様を信じます。どうか私をあなたのものにしてください。」
神様は、そのように求める者を退けられません。
まとめ――新しく生まれることは、神様からの恵みです
イエス様が「新しく生まれなければならない」と言われたのは、私たちを困らせるためではありません。
本当の救いへ導くためです。
人はまじめでも、それだけでは足りません。
良い人でも、それだけでは神の国を見ることはできません。
人には、神様によって新しくされることが必要です。
でもそれは、難しい人だけの話ではありません。
一部の特別な人だけの話でもありません。
誰にでも必要で、誰にでも与えられる神様の恵みです。
だから今日、イエス様のこの言葉を、自分への言葉として受け取りたいのです。
「新しく生まれる」とは、
神様から離れていた人が、神様のもとに帰ること。
古いままの自分を、神様が新しくしてくださること。
キリストを信じて、新しいいのちを受けることです。
もしあなたが今、
「自分も新しくされたい」
「このままではなく、本当に神様に近づきたい」
と思うなら、それは神様があなたの心に働いておられるしるしかもしれません。
どうかその招きに応えてください。
イエス・キリストは、あなたを新しくするために来てくださったのです。

