【三浦綾子原作の映画塩狩峠】実話による主人公の身代わりの死!

B!
今日、私は用があって商工会へ行きました。
手続きの間しばらく待っていると、額にいれて飾ってある言葉が目に入ってきました。
その言葉は、
会長のひとりごと
(どこの会長かわかりません。商工会の会長の言葉でしょうか?
 実は武田信玄の言葉らしいですが・・・)
『真剣だと、知恵が出る。
 中途半端だと、愚痴(ぐち)が出る。
 いいかげんだと、言い訳が出る。』
          武田信玄の言葉
ということは、真剣ということは、中途半端ではないということです。
そして、いいかげんではないということです。
この言葉をみて、
わたしは自分自身の若い頃のことを思い出しました・・・

わたしは昔、いのちをかけても惜しくないものを求めていました

私は、若い頃、いのちをかけても惜しくないものを得たいと望んでいました。
いいかげんでなく、中途半端ではなく、真剣に生きたいと本当に思っていました。
もちろん、軍国主義というのは間違っていますが、特攻隊で日本のためにと純真にいのちを捧げた若者たちがいのちをかけるものがあって、うらやましいと思ったときがありました。
自分もいのちをかけても悔いのない真実なるものが欲しかったのです。

冬の寒い夜駅で一人の青年が必死で読み物を配っていました

そのようなときに、ある冬の寒い夜でした。
粉雪が舞い散っていました。
ある駅の改札を出たところで、濡れないように大事そうに抱えながら一人でチラシを配っている青年がいました。
人がいないときは、手に息をかけてぬくめていました。
手袋をして配るのは受け取る人に失礼と思ってなのか素手で配っていました。大変だと思いました。
しかし、多くの人は寒いからかポケットから手を出さずにチラシを受け取りません。
私は、なんだか気の毒になって、チラシを受け取りました。
そのチラシはキリスト教会の案内のチラシでした。
その内容よりも私が気になったのは、配っている青年が、さわやかに
「素晴らしいお知らせです。
イエスキリストはあなたを愛し、
あなたのために死なれた救い主です。」
と言いながら渡してくれたのを受け取ったとき、なぜか私もさわやかな気持ちになりました。
それからも、何度かその青年がチラシを配っているのをみました。
いつもさわやかに笑顔で配っていました。
私は、その青年がうらやましくてたまりませんでした。
なぜなら、その青年は、
私が持っていない確かなものを持っていると思えたからです。
それで、どのようなことを信じて、
どのようなものを持っているのだろうか知りたくなりました。
それで、チラシについていた返信用ハガキの「読み物を送って下さい」に◯を付けて返送しました。

読み物を希望したわたしに、送られてきたものは?

どのような読み物が送られてくるのか楽しみに待っていました。
でも、薄い小冊子ぐらいだろうと思っていました。
すると、しばらくして、
封筒に切手が何枚か貼られて文庫本が送られてきました。
その本は、三浦綾子さん原作の『塩狩峠』という小説でした。
私は、あまり小説など読まない人間でした。
ですから、少し読んでは最後まで読み終わらないことがほとんどだったのです。
学生のときの読書感想文も本の後書きをみて、
いつも適当に感想文を書いていたくらい本を読むのが苦手で嫌いなものでした。
でも、郵送料も高く、文庫本の値段もそんなに安くないのに送ってくれたのだから、
最後まで読まなければいけないと思い読み続けました。
最初のころは、いつやめよういつやめようと思いながら読んでいたのですが、途中からはやめられなくなって、
朝方までかかって一気に読んでしまいました。
その主人公の生き方そのものが、
私が長年求めていた生き方だったからです。
そして、その塩狩峠という小説は、
実際にあった出来事を小説にしたものであると知りました。
https://www.youtube.com/watch?v=Hz12aBCjoG4

三浦綾子原作の塩狩峠という小説は衝撃的でした

北海道の旭川の塩狩峠というところで列車が暴走します。
国鉄職員である主人公は非常用のブレーキを必死で操作しなんとか列車を止めようとします。
でも、どんどんスピードが増して止めれないどころか、
どんどんスピードが増し、
近づいているカーブを曲がることはできそうにありません。
そのカーブで列車が脱線して多くの人命が失われると思った主人公は、
今なら列車を止めることができると判断しました。
そして自分自身の身体を
障害物としてそのことによってブレーキをかけようとしたのです。
そう思った瞬間、
主人公は線路に飛び込み
急ブレーキがかかり列車が止まりました。
多くの人のいのちは、
その青年の尊いいのちを差し出したが故に救われました。
それは、自分自身のいのちを犠牲にしてです。
明治42年2月28日に北海道の旭川の塩狩峠というところで
実際に起こった出来事です。

塩狩峠の主人公の生き方死に方がわたしの人生を変えました

 

「愛の大きさは、その人の払った犠牲の大きさによって量られる。」
といいますが、
他の人のために自分のいのちを捨てるほど、
大きな犠牲。大きな愛はありません。
「なぜ?なぜ?」
と私は、何度も繰り返しました。
その「なぜ?」は、
その主人公はどうして多くの人のいのちを助けるために、
自分のいのちを身代わりにすることができたのか?
という疑問です。
私が求めている生き方は、
いのちを捨てても惜しくないという生き方です。
そして、どんなことがあっても無くならない
真実なるものを得たいということでした。
この主人公は、自分のいのちを捨てても無くならないものを得ていたのです。
そして、強い確信を持っていたということです。
私は、その時、
この青年の得ているものを自分も得たいとこころから思いました。
そして、
キリスト教会に行こうと決心しました。

クリスチャンになった私は本当の愛と真理を自分のものにしました

そして、本当は、
その列車に乗っていたのは、私自身であることを知りました。
すなわち、私の人生という列車は、
やがて死という最終駅で止まってしまう。
あたかも脱線するかのように。
今現在は、罪の赦しなく暴走してどこに向かっているのかも分からない列車です。
そして、もうすぐカーブを曲がりきれずに脱線しそうです。
その主人公は、
自分のいのちを犠牲にして多くの人のいのちを助けるという素晴らしいことをしました。
しかし、もっとすごい、
もっとすばらしい犠牲が、
私たちのために払われたのです。
それは、救い主イエスキリストの十字架です。
神でありながら、
なんの罪も犯さなかった救い主が
私たちの罪のために十字架でいのちを捨ててくださったのです。
そして、イエスキリストは死んで終わりではなく、死後三日めに復活されてご自身が神であり救い主であることを証明してくださったのです。
わたしは、イエスキリストを救い主と信じてクリスチャンになったのです。
いまから45年も前のことです。
主人公は、
たとえ肉体のいのちを失っても永遠のいのちを確信していたので、
肉体のいのちを犠牲にすることができたのです。
わたしは、ほんとうに「だめだめクリスチャン」ですから、
この主人公のような素晴らしいことはできないと思います。
でも、すばらしいことは、この主人公と同じ神様を信じ、
この主人公と同じ永遠の救いを得ているということです。
私は、この素晴らしい立場で真剣に生きることができます。
私は、この素晴らしい立場にあるので、中途半端には生きたくありません。
私は、この素晴らしい立場にあるので、いいかげんに生きたくはありません。
この塩狩峠の主人公は、『映画の最初に「いつでもイエスキリストのために命を捨てることができる 者になりなさい」』と言いました。
私のような弱い無力などうしようもない者ですが、
いつでもイエスキリストの栄光のために生きたいと心から願っています。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」ヨハネ15:13
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