結婚記念日の気持ちは、形や言葉にあらわさなくては分からない・・・

B!

めずらしく、今日の結婚記念日のことで、妻に感謝の言葉を伝えました。

 

だから、記念になるようなものは、もういいか・・

と思ってしまったのですが、

今日、仕事の帰りにやっぱり結婚記念日には、気持ちを形にしようと思いました。

しかし、何を買って帰ろうかと思案しました。

 

それで、気持ちが落ち着く『美しい花』にしようと思いました。

しかし、帰りが遅くなってもう買うことができないとあきらめかけたのですが、

コーナンという大型店で、花を売っているということを思い出して、帰りに寄りました。

 

すると、ある花がすごく気にいってしまいました。

私の目をひいたのは赤い胡蝶蘭(こちょうらん)でした。

すごく気にはいったのですが、

高いんだろうなぁと思って値札を見ると、

税抜きで5980円でした。

それでいったんはあきらめたのですが、どうしてもあきらめきれずに、

すごく値切ろうかと思って、よくよく見ると、

ラベルが貼ってあって、 1500円と書いてありました。

半額に弱い私としては、

ほぼ75%引きだったので、気がついたときには、思わずかかえて速攻でレジに並んでいました。

 

ほぼ満開なので、

やすくなっているのだと思いましたが、

私がすごく気に入ったので、それが買えて大変満足しました。

 

さっそく家に帰って家内に見せましたが、

それほど喜んでいる様子はありませんでした。

でも、家内は嬉しくてもいつもあまり感情を表に出さない人なので本当は喜んでくれたと思います。

でも、いつも怒るときは、非常に感情を表に出すのですが・・・

 

そしてしばらくすると家内が、

「この立派な花に比べたら、“ちゃち”やけど・・・」といって、

小さな紙袋を渡してくれました。

 

それは、本当に“ちゃち”なキーホルダーでしたが、サックスのキーホルダーですごく気にいりました。

それに、誕生日にはプレゼントはあるのですが、

結婚記念日に何かをプレゼントしてくれるということはあまりなかったので、

とても嬉しく思いました。

 

とともに、手ぶらではなく、花を買って帰って本当に本当によかったとつくづく思いました。

 

そして、それだけでなく、食後にケーキまで出てきて、びっくらポンでした。

人というのは、気持ちだけでなく形でもあらわすことが本当に大切だと思いました。

 

確かに、気持ちがあれば、

ほっておいても形が伴って当然なのでしょう。

そんなどうでもいいことがあって・・・

 

私は、神様への感謝、

イエス・キリストへの喜びという気持ちを

形にあらわしているだろうか。と考えました。

信仰を働かせて、

神様への感謝の行いが形になってあらわれているだろうか。

 

信仰の歩みにおいて、行動が伴っているだろうか。

気持ちが、当然、形になってあらわれるのなら、

信仰にも、感謝の思いからの礼拝と、

信仰の歩みにおける神様へ従順があらわれるべきだと強く思い知らされました。

 

もっともっと感謝の気持ちを形にあらわしたいと思うならどうしたらいいのでしょう?

その答えは、簡単です。

相手を、喜ばせばいいのです。

 

相手を、喜ばしたいという基準でものごとのすべてを考えればいいのです。

神様を喜ばしたい。

逆に言うと、こんな神様を悲しませるしか出来ない者が、

神様を喜ばせることができるって信じられないくらい素晴らしいことではないでしょうか。

 

今日も明日も、これからも神様をただ喜ばせることだけを考えたい。

なぜなら、

 

『イエス・キリストは、昨日も今日もいつまでも同じです。』へブル人への手紙13章8節

 

同じ恵みで、

同じ愛で、

同じ祝福を与え続けてくださるのだから・・・

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