今年結婚するという人が、南の小さな島で(名前ははっきりと覚えていませんが)新婚旅行を楽しむということを嬉しそうに話してくれました。
そのことを聞きながら、わたしは、自分の新婚旅行を思い出していました。
わたしも本当は学生時代に行った沖縄が気に入っていて、新婚旅行は沖縄にしたいとずっと決めていました。
でも、クリスチャンになって、クリスチャンの結婚相手が決まって、新婚旅行をどうしようと考えた時、ある人から「神様の喜ばれる旅行があるのですが、どうします?」ってたずねられました。
どんな旅行か詳しく聞いてみました。
すると、聖書を必要としているクリスチャンに聖書を届ける旅行ですと言われました。
今よりももっと統制の厳しかった中国のクリスチャンたちに聖書を届けるのが主な目的でした。
しかし、今から40年くらい前で、中国は、共産主義の無神論の国で聖書は持ち込み禁止扱いにされていた書物でした。
見つかれば没収されてしまうことでした。
そして、中国の人は、聖書を持つことを禁止されていたようで、ヤミで買ったら一ヶ月分の給料くらいの金額だったそうです。
しかし、キリスト教会はありました。
でも、表向きの中国の公認教会で全てにおいて中国政府により統制されスパイもいっぱい潜り込んでいたそうです。
もちろん聖書を持っていないクリスチャンに聖書を届けるという素晴らしい働きだと知ったらどうしても
行きたくなりました。
最初の予定では、聖書を数百冊届ける計画だったので期待をふくらませながら、正直不安もありました。
もし税関で見つかったら、没収されるだけならいいのですが、取り調べを受け拘束されるかもしれないという恐れもありました。
でも、新婚旅行で二人で祈りながら協力して聖書を届けることができれば、何と素晴らしい新婚旅行になるだろうかとワクワクしました。
最初に、香港に入りました。そこで、いろいろな準備をしたのですが、大変な問題が起こりました。
それは、聖書を数百冊届ける計画というのは、聖書数百冊を中国に入ってアメリカ人に手渡すという計画でした。
しかし、その計画の打ち合わせというか、面接というかをおこなった時に、私たち夫婦が英語をしゃべれないということを知った相手の外国人たちの表情が変わりました。
どうも英語がしゃべれないということが、この計画にとって致命的であったようです。
その打ち合わせは、そのあとすぐに終わってしまいました。
二人ともがっかりしました。せっかくここまで来たのに、聖書を届けることが出来ないなんて・・・
いろいろと世話をしてくださっていた方が、慰めてくださいました。
そして、数百冊は無理だけれど、数冊でも持って入って聖書を配りますかと言われました。
数百冊から数冊なんてとがっかりしました。
でも、本当に必要としている聖書を持っていない持てない中国のクリスチャンに聖書を届けることができれば感謝だと思いました。
そして、数冊でなく、二人で普通サイズの聖書を合計30冊と、大きめの聖書を2冊を祈って持っていくことにしました。
この話しの前半は、ここまでです。
以前少し書いたかもしれないのですが、私たち夫婦は、結婚式を終えて、新婚旅行に出かけてもまだまだなかなか打ち解けることができませんでした。
ぎこちない夫婦でした。いろいろと遠慮などもあり話しもはずみませんでした。
でも、香港から中国に入るといういろいろな大変な時を共にすごして、一緒に祈ったりしているうちに気がついたら、ごく自然に二人が一つになっていました。
イエスキリストにあって同じ思い同じ目的に向かっているうちに、本当に神様が一つにしてくださったとしか言いようがないくらい不思議な経験でした。
私自身、結婚してこれから先のクリスチャンとしての歩みにも、全く自信がありませんでした。
しかしイエスキリストに5つのパンと2ひきの魚を差し出した少年のように、一見無駄に思えるようなことでもイエスキリストに用いていただこうと差し出すなら必ず神様は、何倍にも祝福して用いてくださることを実際に経験することができ感謝でした。
私たち夫婦は、この新婚旅行において、神様に差し出した本当にちっぽけな信仰を、神様は素晴らしい祝福で満たしてくださいました。
それから先も、今までずっと不安に陥ることなく、喜びと感謝のうちを歩ませてくださったことを今また振り返って喜ばずにはおれません。
また、これから先も、わたしが不真実であったとしても、神様の真実は変わらないということを感謝します。
イエスキリストは、きのうもきょうもいつまでも同じです。