もっと生きて多くの人に福音を伝えたいと願い天に召された伝道者たち

B!

もっと生きて一人でも多くの人に福音を語りたいと願って死を迎えた伝道者たちのことをお話しさせてください。

仲谷清志という高校3年生の男の子がクリスチャンになった時、誰が彼の生涯が21歳と半年で悪性骨肉腫という病気で終わると想像できたでしょう。

また、死後30年以上たってから彼の証し集が小冊子となることを知ることができたでしょうか。そしてその小冊子が神様によって用いられることを。

彼は、死ぬ(天に召される)8時間くらい前に私に

「僕が死んだ時、

教会での召天式では『ルカの福音書の16章19節から 金持とラザロのところから地獄の裁きと神様の愛なる救いの福音』のメッセージしてください

と最後の願いを私にゆだねました。

そして最後の最後にこう言いました。「本当はもっと生きたかった。もっと生きてもっと多くの人に神様の愛と福音を語りたかった」・・・と。

彼が召天した時に闘病中に書きしるしたメモが残っていました。それを妹さんが証し集としてまとめると決心しておられました。

しかし、長らくその証し集は人の目にふれることはありませんでした。

それは妹さんが何度も何度も証し集としてまとめようとしたのですが、本人の気持ちを察するとつらくてつらくて涙が止まらずにまとめることができなかったからです。

でも、少しづつまとめて数年前に完成しました。

そして、今回、未信者の人にも「福音とは何か」についてよくわかるようにまとめました。

そして伝道用として、またクリスチャンの励ましのための小冊子となりました。

これがどんどん神様によって用いられることが仲谷兄がもっと生きてもっと多くの人に福音を語りたいという願いの実現であると確信しています。

仲谷兄は、21歳という若さで召天しました。 しかし、21歳という短い時間でしたが、精一杯神様のことを思い神様のために生きました。 ですから、彼は21歳の生涯を神様と共に駆け抜けました。

そのほかにも、私が長らく親しくさせていただいた いろいろな伝道者が志なかばで天に召されました。

◉奈良の白橿キリスト教会で白血病で歳若くして天に召された青年の山本兄

私が、奈良の教会で日曜学校の奉仕をしていた時山本兄はまだ小学生の3年でした。

その後ずっと教会につながり、これから先もずっと長く伝道したいと願っていました。

小学生の高学年のときに聖書が欲しいと牧師に言ったそうです。 それも、子供用の小さい聖書ではなく大人になっても使える大型の新旧約聖書を欲しいと願い、大きくなったら「伝道者」になりたいと願っていたそうです。

救われた喜びを神様に感謝し、伝道だけではなく、もっともっと神様を心から賛美したいと自分で作詞作曲もしていた青年です。

※相当、昔に私の体調が最悪だった時がありました。 その時、山本兄も白血病で体調がおもわしくありませんでした。

私の体調が最悪で、山本兄も体調が良くなかった時、偶然、教会主催のキャンプで一緒になり交わった時のことです。

二人のうちどちらが先に天に召されるかという話しになって、どちらが先に天に召されても残った方がその人の思いを受け継ぎ、その人の分まで伝道していこうと約束し合いました。

その彼が青年になって作詞作曲した曲を聴いてください。『私たちのために』という彼の曲は私の一番大好きなゴスペルソングの曲です。

🟢今から動画を見てください。

動画の2曲目の「私たちのために」の歌詞に注目してください。

『両手と両足釘付けにされて ツバをかけられて ムチで打たれても 黙って十字架背負っていかれた・・・』

🟠じっくり動画で賛美を聞いてください・・・

◉長野の森田達治兄(肺癌で)

彼が中学生の時、 私が生まれて初めて聖書からメッセージを中学生クラスでしたときのことでした。

神様のことを証しできたことは嬉しかったのですが、すごい緊張でしどろもどろになってメッセージはうまくできずに落ち込んでいました。

その時、中学生の森田達治兄と初めて会ったのに、集会が終わるとすぐに私のとこに来てくれて人なつっこく話しかけてくれました。

励まそうとしてくれたのだと確信してすごく嬉しくなったことを覚えています。

その後、ことあるごとにいろいろな伝道を先頭に立って手伝ってくださり、日曜日の午後よく外に出かけて場所を借りて伝道集会をしたりしました。

案内のチラシを配り、マイクで伝道集会の誘いかけをして集会所で待っていました。

しかし、ぜんぜん人が一人も来ませんでした。

そのとき、わたしが落ち込んでいるのがわかったのか、森田兄がみんな(そこにスタッフが5人くらいいました)に、神様を賛美して待ちましょうと言ってみんなで大きな声で喜んで賛美をしました。

すると、ひとりの男の人が急に入ってきたのです。

聞くと、外を通っていると中から楽しそうに歌っている歌声が聞こえたので急に入りたくなって入ってきましたというのです。

みんなで神様の働きに感謝しました。

数えきれなくらい森田兄には何度も励まされ助けられました。

そして神様のために生きたいという言葉を聞いて本当に神様って素晴らしいと感謝したことを覚えています。

しかし若くして肺がんで天に召される少し前に病室を見舞った時、 相当しんどかったでしょうが、笑顔で嬉しそうに交わってくれたことを覚えています。

その時に、森田兄が急にまじめな顔になって頼みがあると言われました。どんな頼みかというと、自分はもう長く生きれないと思うので僕の分まで神様の福音を伝道して証ししてくださいというクリスチャンとしての私への遺言でした。

ときどき思い出します。森田兄の分まで神様を証しできているだろうかと・・・

◉クリスチャンとしての一番の恩人であり先生である麻生先生

クリスチャンとしての一番の恩人であり私に数多くのことを教えてくださった先生である麻生先生も大腸癌で天に召されました。

私が25歳でクリスチャンになった時、日曜日出勤のスーパーダイエーに勤めていたので礼拝に行けないことがだんだん苦しくなって、ダイエーを辞めました。

そして奈良の桜井市にあるクリスチャンの住宅会社に勤めたこともあって奈良の白橿キリスト教会に集うことになり、麻生先生のもとで聖書を学び、子どもたちへの伝道の素晴らしさを麻生先生から教えていただきました。

仕事も奈良だったので、昼食時などに教会に寄せてもらって休憩しながらよく交わらせていただきました。

とにかくコツコツ真面目に丁寧にすべてのことを神様のためにされる先生でした。本当にいい意味で真面目な一生懸命な先生でした。

いろいろなことを麻生先生から学びました。耳からの言葉だけではなく、麻生先生の神様に対する姿勢、生き様をとおしても学ばせていただきました。

すべてのことを書くことはできませんが、 あるとき、わたしは教会に集うクリスチャンの大人の人数が少ないことを気にしていました。こころの内では伝道しても伝道しても集う大人の人数が増えないというのは麻生先生にとっても辛いことだろうと思っていました。

不信仰にも教会の会計的にも大変だなぁと思ってしまいました。

わたしの考えていることを察したのか、麻生先生が私に言われました。

『子供も大人も一人の人間として神様が愛されています。もちろん大人も救われることを願っていますが、子供も神様の愛する一人の人間として救われることを望んでいます。今、神様から与えられているビジョンは、まず子供の日曜学校で多くの子どもたちに福音と神様の愛を語りたいのです。』と。

確かに、最初の教会はニュータウンのそばだったので、近所に多くの子どもたちがいました。 今から想像できないのですが、小学生の3年4年のクラスを担当させてもらっていた時に3年4年で20人以上いました。

ですから、途中から3年と4年のクラスを2つにしなければならないくらいでした。本当に、子供たちの魂の救いも大人の魂の救いも比べられるものではありません。(ちなみに中級クラスの小学4年の山本兄と一緒にクラスに参加していた山本兄の友達も大人になって伝道者になりました。どんな働きも神様は絶対に無駄にはされないのです。)

そして、また麻生先生はこうも言われていました。 『この地上で多くの人からの称賛を受けるより、天でイエス様とお会いした時に、 「よくやったよい忠実なしもべだ・・・」とイエス様が喜んでその一言をかけてくださるだけで私は満足です。それが一番の願いです。』と。

その麻生先生も大腸癌で召天されました・・・ 神様が麻生先生を用いられたことは、麻生先生のもとで学んだ人たちが、伝道したいと願って伝道者となったものが数多くいるという素晴らしい御業を通しても明らかです。F兄、山本兄、M兄など・・・そして恥ずかしながらここに名前を連ねることがはばかれますが、私自身もその一人です。

いろいろな伝道を志した信仰者たちが先に天にいきました。 私たちにはあとどれくらいの時間が残されているのかわかりませんが、できるだけ精一杯神様のために生きたいと思わざるをえないです。

仲谷兄のことを想い出しながら、いろいろ考えさせられました。 自分自身の神様に対する姿勢を初心に戻してもらいました。

それぞれの方々が天に召される少し前に私は交わることがでたその時・・・ それぞれの方々が 私に言いました。 「本庄さん。私が天に召されたら『私の分まで』本庄さん伝道してください。」と。

ときどきその時のことを思い出します。 それぞれの伝道者の遺言をはたすことができているだろうかと考えるとき、申し訳ない気持ちになります。と同時に、それぞれの伝道者は、もっともっと一人でも多くの人に伝道したかったのだろうと思います。

ですから、わたしは今までに天に召された数多くのクリスチャンの伝道者たちの思いを担って少しでもそれぞれの方々のように神様のためだけに生きたいといつも願っています。

志なかばで天に召された 仲谷兄、森田達治兄、山本兄 麻生先生・・・その他大勢の愛する兄弟姉妹たち その他多くの伝道者の意思を受け継いで、ますます神様に忠実に生きたいと気持ちを新たにしました。

 

● 付 録 ●

京都の教会にいたときにT姉というクリスチャンがおられました。

絶対音感がある方で、神様をほめたたえるゴスペルソングを数多く作詞作曲されました。

その姉の曲は全て好きですが、『詩篇23遍 主は私の羊飼い』が大好きです。 彼女は何曲もイエスキリストの十字架と復活を賛美し褒め称える賛美の曲を書きました。

しかし、ある時彼女が悩んでいました。

何を悩んでいたかというと神様を褒め称えるメロディーはいいのだけど、自分のようなものが神様を褒め称える賛美の『詩』を書いていいのだろかという悩みでした。

それで私は祈って考えてこうアドバイスしました。

「姉の心から神様を褒め称える賛美の歌の詩を正直に書くことを神様は喜ばれると思うのでそれは素晴らしいことだと思います。

しかし、もし今自分の詩で神様を賛美することをしづらいと思っているのなら、 一度神様の御言葉をそのまま歌詞として曲を作ることに挑戦して下さいとアドバイスしました。この挑戦も神様の栄光があらわされる素晴らしいことだと思います。」と。

それから彼女が速攻で書いた名曲が、この『詩篇23篇 主は私の羊飼い』という御言葉にそのまま曲をつけたものでした。

それからも何曲も何曲も「御言葉の歌」を作り神様から用いられました。

それが、『みことばを歌おう』というシリーズになって多くの人に歌われ聖句を暗唱する手助けとなりました。

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