新婚旅行で中国に聖書を届けたときの奇跡(後半)

B!

前半は、新婚旅行で中国に聖書を持っていくということについて書きました。

 


ただ、最初の予定が変更になり、聖書32冊をどのようにして、本当に聖書を必要としているクリスチャンに届けることができるかが重大問題でした。

 

二人で祈るしかありませんでした。

香港で聞いた話しでは、中国のツアー客がゴミ箱に捨てた持ち物がホテルのその落し主のところに届けられたということがあったそうです。

それくらい、中国では、ツアー客の行動を監視して変なことをさせないように、また、中国として見られたくないところを見られないように細心の注意を払っていたそうでした。

 

まず私たちは教会に行きたいと思いました。(その当時、中国のキリスト教会は、公認教会と非公認教会がありました。非公認とは、公認されていない、いろいろと制約や統制されるので、地下にもぐって表に現れない組織として活動している教会です。)

 

しかし、最初から非公認教会には行けないし、危険が大きく相手に対しても迷惑がかかるということで、公認教会に行きたいと思いました。公認教会でも、信仰のしっかりした素晴らしいクリスチャンの人たちも多くいると聞きました。

 

しかし、中には統制したり密告したりするスパイがもぐりこんでいるとも聞きました。

ですから、そのようなスパイに聖書を渡したら、もう没収されるのは明白でした。ですから、祈りが必要でした。

真実な信仰で聖書を本当に必要としているクリスチャンに届けることができるかどうかが重要でした。

 

私たちは、外国人の中国ツアーに参加しました。

 

公認教会に行くためには、日曜日の朝にツアーの予定を変更してもらって、自分たちだけ単独行動を取らなければなりませんでした。

日曜日に単独行動をさせてもらうようにツアーの通訳にお願いして、なんとか了解を得ました。

 

しかし、タクシーを頼むこと、タクシーに公認教会へ言ってもらうように伝えることなどいろいろと難題がありました。

中国語はしゃべれないし、そして英語もしゃべれなかったから必死に神様に助けを祈りました。

 

でも、なんとか、うまく事は進みました。しかし、途中で、オンボロなタクシーの車がエンストをして動かなくなりました。運転手は、エンストに慣れているのか、もう無理とあきらめているようでした。

 

でも、ここで諦めては聖書を渡す機会がなくなります。

必死にお願いして二人で降りて車を押してエンジンをなんとかかけてもらう事ができました。

そのとき、冷や汗と本当に必死になった汗とでビシャビシャになったのを覚えています。

そして、本当に奇跡的に公認教会に到着しました。それも、礼拝の始まる30分くらい前でした。礼拝の始まる前で良かったのです。

少しづつ場所を移動しながら聖書を配ることができるからです。

しかし、中にもぐりこんでいるスパイなど見分ける事はできません。祈りました。祈って、前日に部屋でメモに書いた文章を持っていました。

『わたしは、日本から来たクリスチャンです。聖書を持って来ました。聖書を受け取って下さい。』という意味の中国語を書いたのですが、後で見てもらうと、すごい命令形の文章だったそうです。でも、意味は通じたようです。

 

夫婦二人一緒だと目立つので、一人づつ別れて配りました。

多くの人たちが礼拝の始まる前に、神様に祈っているので声をかけずらかったのを覚えています。

一番最初の人は、高齢の女性でした。メモを渡すと、メモを読んでから、聖書はこれだというようにプリントを見せました。

礼拝時に配布している週報のようなものでした。そこに、聖書の御言葉が書いてあったようです。そのクリスチャンは、聖書は本ではなく、教会で配布されるプリントをであるかのようなそぶりでした。

そして、そのプリントをためてご 御言葉を読み返しているのかもしれません。

 

それで、わたしは、渡したい聖書を見せました。

それで、プレゼントという中国語を指で押さえて頼みました。

その女性はそれを受け取り、信じられないような顔をして聖書を開き、ところどころに目を通し満面の笑顔で何度もありがとう(シェーシェー)と言ってくださいました。


また、別の人のところに行ってメモを見てもらい、信じられないような顔をしている女性に聖書を渡すと、開けようとはせずに持ったままうつむいてしまいました。

どうしたのかと見ると、うつむいて祈っているようでした。そして、膝の上に置いた聖書にその人の涙が2つ3つしたたり落ちていました。

この当時、中国では聖書は高価すぎて買えないし、禁じられているということもありました。ですから、その人は、まず聖書を開く前に神様に感謝の祈りを捧げ嬉しくて涙を流しながらわたしの手を握って喜び、イエス様の十字架を示すように両手を広げ、そして天を指差してまた再び天で会おうというようなことを言っているように思えてわたしもその人と共に涙を流しました。

 

そして、そのときに思いました。日本では、聖書は自由に買う事もできるし、1カ月分の給料ほどの値段でもなく、買おうと思えば買える読もうと思えばいつでも自由に読む事ができるし、神様のことを自由に証しすることができる。

わたしは、そのときに思いました。わたしは、この人たちのように御言葉に飢えているだろうか。この人たちのように御言葉を慕い求めているだろかと。

 

◉聖書 ペテロ第一の手紙 2章2節
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

 

二人で聖書は全て配ることができました。
二人で感謝しました。
でも、その時、別の人がやって来て、聖書を下さいと必死でたのんでいるようです。

 

しかし、もう渡す聖書はありませんでした。本当に悔しかったです。なぜかというと、数冊聖書を持って行って下さいと言われて、32冊にしたのですが、私の信仰は32冊の信仰でしかなかったと悔やまれたのです。

 

もっと、50冊でも、100冊でも良かったのではと悔やみました。

でも、もっと情けないことがその後で起こるのです。明日、中国をでるという夜に荷物を整理していると、バックの横のポケットから2冊の小型の聖書が出て来たのです。

全部配ったと思っていたのに、2冊残してしまったのです。

それに、最後に聖書を下さいと求めて来てくださった方のことを思うと自分が情けなくて悔しい思いでした。

 

ですから、この2冊を持ったまま中国を出るわけにはいかないと思いました。でも、もう夜遅くどこに配りに行けばいいのかまったくわかりませんでした。

 

でも、その当時、中国では暴走族の青年が夜に遅くにたむろしているということを聞いていました。
それで、妻に、正直に2冊残っていることを伝え、夜遅いけど2冊を配りに行くと行って出ました。

妻は、どんなことが起こるかわからないし、辞めるように言いましたが、出かけました。(今なら、いろいろ理由をつけて出かけないと思います。でも、その時は、新婚旅行で妻に良いところを見せたかったのでいいかっこうをしたのだと思います。)

 

暴走族といってもその当時の中国の青年は、自転車で無謀な運転をしているとのことを聞いていました。

日本のように街灯もなく、薄暗いというより真っ暗という状態でしたが、少し行くと、数人の青年がたむろしていました。どう話しかけていいのかわからないので、日本語で話しかけました。それで、向こうの方が逆にびびったようで、メモ用紙を見せて、聖書をとりあえず、2冊渡すことができました。

 

その時、わたしは、5つのパンと2ひきの魚を差し出した少年のように、素直な純粋な信仰で歩みたいと思いました。

その思いは、今も、尚変わっていません。

 

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