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聖書通読【第40週 5日目】反逆者への「無条件の恩赦」と、天の法廷に立つ「完璧な弁護士」 (第二サムエル記 19章 / ヨハネの手紙 第一 2章)
私たちのような神への反逆者が、なぜ聖なる神の御前に立つことができるのでしょうか。今日は、反逆者を赦して平和をもたらす「王の帰還」と、天の法廷で私たちのために立ち上がってくださるキリストの「完璧な弁護」について、わかりやすく紐解いていきます。
1.第二サムエル記 19章 —— 帰還した王による「無条件の恩赦」
アブシャロムの反逆が鎮圧され、王であるダビデがエルサレムに帰還します。王がヨルダン川を渡ろうとした時、真っ先にひれ伏して命乞いをしたのは、かつて逃亡するダビデに石を投げ、激しく呪ったあの「シメイ」でした(第40週2日目参照)。
側近は「神に油注がれた王を呪ったのだから、彼を死刑にすべきだ」と息巻きます。しかしダビデは、剣を収めてこう宣言しました。
「きょう、イスラエルの中で、人が死に渡されてよかろうか。」(2サムエル 19:22)
ダビデは、王の絶対的な権威をもって、自分を呪った反逆者シメイに「無条件の恩赦(赦し)」を与え、王国に和解と平和をもたらしたのです。
■ 恩赦を与える真の王、キリスト
このダビデの姿は、私たちの真の王であるイエス・キリストの恵みを美しく指し示しています。 私たちは皆、生まれながらにして神を呪い、神の王座に石を投げてきた「シメイ」のような反逆者です。本来なら、神の聖なる怒りの剣によって即座に死刑(永遠の滅び)にされて当然の存在です。 しかし、王なるキリストは、十字架と復活によって勝利を収められた後、私たちを剣で滅ぼすのではなく、圧倒的な「恩赦」を差し出してくださいました。キリストの十字架の前にひれ伏し、「私が罪人でした」と降伏する者には、過去のどんな反逆の罪も問わず、完全な赦しと和解を与えてくださるのです。
2.ヨハネの手紙 第一 2章 —— 天の法廷の「完璧な弁護士」
神様は「完全に正しい裁判官」です。正しい裁判官が、有罪の犯罪者を「ただかわいそうだから」という理由で無罪放免にすることは、法律(神の義)が許しません。 では、なぜ私たちは赦されるのでしょうか。ヨハネの手紙第一 2章に、その法的な根拠が記されています。
「もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・キリストです。この方こそ、私たちの罪のための…なだめの供え物です。」(1ヨハネ 2:1-2)
■ 「なだめの供え物」という最強の証拠物件
「天の法廷」を想像してください。 裁判長は父なる神、被告人はあなた、そして告発者(検事)はサタンです。サタンは「こいつはこれだけ嘘をつき、自己中心に生きてきた反逆者だ!死刑にしろ!」と正しい証拠を突きつけてきます。私たちはぐうの音も出ません。
その時、あなたの「弁護士(弁護者)」として立ち上がるのが、イエス・キリストです。 しかしキリストは、「裁判長、私の依頼人は無実です。本当は良い人なんです」などという嘘の弁護は一切しません。キリストはこう言われます。 「裁判長。検事の言う通り、この者は有罪です。死刑に値します。しかし、その死刑の罰金(怒りの代価)は、私が十字架の上で、自分の血と命によって一円残らず全額支払い済みです。これがその領収書(なだめの供え物)です。」
「なだめの供え物」とは、神の激しい怒りを完全に満たし、なだめるための完璧な犠牲のことです。弁護士であるキリストご自身が、あなたの身代わりとなって死刑を受けてくださったので、正しい裁判官である神様は「すでに罰が支払われている以上、二重に罰することはできない」として、あなたに「無罪(義)」の判決を下すのです。 私たちの救いは、あやふやな感情ではなく、この十字架という「完璧な法的根拠」の上に建っているのです。
3.今日の恵みの歩み(適用)—— 恩赦を受けた者の生き方
この圧倒的な恵みを受けた真の信者には、必ず「生き方の変化」が伴うと強調することができます。
「『私は神を知っている』と言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり…」(1ヨハネ 2:4) 「世をも、世にあるものをも、愛してはいけません。」(1ヨハネ 2:15)
王から死刑を免除され、弁護士が自分の命を捨ててまで助けてくれたのに、法廷を出たその足で、再び王を呪う反逆者たちのグループ(世)に戻って一緒に遊ぶ人がいるでしょうか。もしそんなことをするなら、その人は恩赦の価値を全くわかっていません。
100%の恵みによって救われた私たちは、このキリストの十字架の愛に深く心打たれ、「もはや古い反逆者の陣営(世の欲)には戻りたくない。私を助けてくださった王の命令を喜びをもって守りたい」という新しい意志(敬虔な歩み)へと押し出されていきます。 今日、天の法廷であなたの弁護士となってくださっているキリストの完璧な愛に深く安息(座る)してください。そして、世の欲望を捨て、あなたを愛し抜いてくださった王に従う歩みへと、喜んで立ち上がろうではありませんか。

