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聖書通読【第41週 5日目】自分で人生の「王」になろうとする罪と、真の王キリストへの降伏(列王記 第一 1章 / ユダの手紙 1章)
第41週5日目の聖書通読です。
今日のみことばは、「誰が本当の王(支配者)なのか」という、私たちの人生における最も重要なテーマを突きつけます。自分の力で王座を奪い取ろうとする人間の反逆と、神の絶対的な主権によって立てられた「真の王」の対比を、わかりやすい例えを用いて説明したいと思います。
1.列王記 第一 1章 —— 不法侵入者の宴会と、真の王のラッパ
ダビデ王が年老いて力を失った時、息子のひとりであるアドニヤが「私が王になる」と宣言しました。彼は、神様が次の王として「ソロモン」を選んでおられること(神の主権)を完全に無視し、戦車や護衛兵を集め、自分に賛同する者たちを呼んで盛大な宴会を開きました。
これは、神様の御心を追い出し、自分の力と欲望で自分の人生を支配しようとする、私たち人間の罪深い姿そのものです。
■ 留守の豪邸で開かれた「偽りの宴会」
例えるなら、アドニヤの反逆は「主人が留守にしている大豪邸に勝手に入り込み、『今日から俺がこの家の主人だ!』と勝手に宴会を開いている不法侵入者」のようなものです。彼らは自分たちの力(肉)で家を乗っ取ったつもりになり、勝利の美酒に酔いしれていました。
しかし、神の絶対的な計画が人間の陰謀によって覆されることは決してありません。
ダビデの命により、祭司ツァドクと預言者ナタンがギホンという場所でソロモンに油を注ぎました。そして、「ソロモン王、万歳!」という歓声とともに角笛(ラッパ)が鳴り響いた瞬間、アドニヤたちの宴会はどうなったでしょうか。
彼らは恐怖のあまり震え上がり、我先にと逃げ散ってしまいました。本物の主人(真の王)が法的な権威をもって現れた時、偽りの王の宴会は一瞬で吹き飛んでしまうのです。
やがて来るべき真の王、イエス・キリスト(ダビデの子)が再臨のラッパとともに来られる時、この世で自力を誇っているすべての反逆者たちも、同じように神の圧倒的なさばきの前に震え上がることになります。
2.ユダの手紙 1章 —— 恵みを悪用する「霊的なアドニヤ」たち
新約聖書(ユダの手紙)では、このアドニヤと同じような「反逆者」が、なんと教会の中にも忍び込んでいると警告しています。ユダは彼らのことをこう表現しました。
「彼らは不敬虔な者で、私たちの神の恵みを放縦(勝手気ままな罪)に変え、唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する者たちです。」(ユダ 1:4)
現代の教会にも蔓延しているこの恐ろしい間違いは、『キリストの主権の否定』です。
偽教師たちは、「キリストは私の罪を赦してくれる『救い主(便利な保険)』だけれど、私の人生のすべてを支配し、命令する『主(支配者)』ではない。」と。
自分にとって都合のいい道具であるかのように・・・。
私は恵みで救われたのだから、どんな罪を犯しても、自分の好きなように生きていいのだ」と恵みを悪用する(自分の都合のいいように変えてしまう)生き方を教えました。
彼らはまさに「霊的なアドニヤ」です。「十字架の恵み」という言葉を隠れ蓑にしながら、実はキリストを王座から引きずり下ろし、自分が王座に座り続けて自分の欲望を満たしたいだけなのです。
しかしユダは歴史上の事実(荒野で滅ぼされた不信仰な民、ソドムとゴモラ、堕天使たち)を挙げ、『キリストの主権』を拒絶し、自分の欲のままに歩む者たちには、恐ろしい神のさばき(神の怒り、神の悲しみのゆえに)が確実に待っていることを宣言しています。
3.今日の恵みの歩み(適用)—— 真の王に王座を明け渡す
「愛する人々よ。…聖徒たちに一回限り伝えられた信仰のために、戦うよう勧める手紙を書く必要が生じました。」(ユダ 1:3)
真の福音(恵み)は、私たちを自分勝手な罪の宴会(神様は罪を赦されたのだから、罪に対して鈍感になってもかまわないと自分の都合のいい受け止め方で罪の中を歩む宴会)に留めておくことは絶対にありません。
キリストは、私たちが受けるべき永遠のさばきを十字架で身代わりとなって受けてくださった「救い主」であると同時に、死を打ち破って復活された「絶対的な主(王)」です。
100%の恵みによって救われた真の信者は、「こんな絶望的な私のために命を捨ててくださった素晴らしい王に、私の人生のすべてを喜んでお捧げしたい」という、愛と服従の歩みへと必ず変えられていきます。
今日、あなたの心の中心(王座)には誰が座っているでしょうか。もし「自分が王になりたい、自分で自分の人生をコントロールしたい」というアドニヤのような思いがあるなら、今すぐその偽りの宴会を終わらせてください。
私たちの心にはすでに、聖霊なる神様の導きと助けによって「真の王キリスト」が着座しておられます。
自力による支配を手放し、愛に満ちた真の王の御足の前にひれ伏しましょう。キリストの主権(みことば)に喜んで従うことこそが、私たちが偽りの教えから身を守り、確かな信仰の勝利を歩むための唯一の道なのです。
