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聖書通読【第40週 2日目】呪いを甘んじて受ける王の姿(キリストの予表)と、主権を拒む者への確実な裁き
(聖書箇所:第二サムエル記 16章 / ペテロの手紙 第二 2章)
第40週2日目の聖書通読です。今日の箇所では、神の絶対的な主権に対する「二つの全く異なる応答」を見ることになります。
一方は、自らに投げつけられる呪いを「神の御手から出たもの」としてへりくだって受け止めるダビデの姿(十字架のキリストの予表)。もう一方は、神の主権とキリストの贖いを拒絶し、自らの欲望(肉)のままに歩む偽教師たちへの厳格な裁きの宣言です。
神の主権は私たちの人生の試練においても、また罪に対する聖なる裁きにおいても、完全に貫かれています。この真理を胸に刻みながら、みことばを掘り下げていきましょう。
1.第二サムエル記 16章 —— 呪いを受け止めるダビデと、十字架のキリスト
■ シメイの呪いと、主権への絶対的服従
息子アブシャロムの反逆によってエルサレムを追われたダビデの前に、サウル家の親類であるシメイが現れます。シメイはダビデに向かって石を投げつけ、「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者」と激しい呪いの言葉を浴びせ続けました。
この屈辱に対して、ダビデの側近であるツェルヤの子アビシャイは激怒し、「行って彼の首をはねさせてください」と進言します。王の権力を使えば、シメイを瞬時に黙らせることは簡単でした。
しかし、ダビデの応答は私たちの想像を絶するものでした。
「主が彼に『ダビデをのろえ』と言って命じられたのだから、だれが『なぜ、そんなことをするのか』と言えようか。」(2サムエル 16:10)
ダビデは、シメイの悪意ある行動の背後に、神の「絶対的な主権」を見出していました。ダビデは自分の過去の罪(バテ・シェバとウリヤの事件)の刈り取りとして、この試練が神から許されていることを深く自覚し、自らを弁護する「自力の剣」を抜きませんでした。すべての裁きを、主権者なる神の御手に完全に委ねたのです。
■ 呪いを身代わりに受けられた真の王
このダビデの姿は、はるかに偉大な真の王、イエス・キリストの十字架の姿を私たちに指し示しています。
キリストには、ダビデのような罪は一切ありませんでした。完全にきよく、正しい方であったにもかかわらず、キリストはゴルゴタの丘で、人々から嘲笑され、唾を吐きかけられ、激しい呪いの言葉を浴びせられました。キリストは「十二軍団以上の御使い(マタイ 26:53)」を呼んで彼らを滅ぼすこともできたのに、一言も言い返さず、黙ってその呪いをお受けになったのです。
なぜでしょうか。ガラテヤ人への手紙3章13節はこう宣言しています。「キリストは、ご自身がのろわれた者となって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。」
キリストが十字架の上で呪いを甘受されたのは、シメイのように本来神を呪い、神に反逆する私たち(全的堕落の罪人)が受けるべき永遠の呪いを、身代わりとして引き受けるためでした。私たちはこの圧倒的な十字架の恵みのみ座に「座る」とき、ダビデのように、自分を不当に扱う者に対する「自力の復讐」を手放し、神の主権に信頼して歩むことができるようになるのです。
2.ペテロの手紙 第二 2章 —— 恵みを悪用する偽教師たちと、神の確実な裁き
■ 主権者を否定する偽教師の全的堕落
旧約で神の主権に服従する姿を見た一方で、ペテロの手紙第二2章では、その主権に真っ向から反逆する者たちへの警告がなされています。
ペテロは、教会の中に「偽教師たち」が忍び込んでくることを警告しました。彼らの特徴は、「自分たちを買い取ってくださった主を否定する」(2ペテロ 2:1)ことです。
彼らは、十字架の恵みを「何をしても赦される免罪符」として悪用し、肉の欲情(自力と快楽)のままに歩み、信者たちを滅びの道へと誘い込みます。彼らは「恵み」という言葉を使いながら、実際には「キリストを主として従うこと(意志の服従)」を拒絶しているのです。恵みにあぐらをかき、神の命令を無視して自分勝手に生きることは、キリストの十字架を足蹴にする行為に他なりません。
■ 聖なる神の裁きは眠っていない
神は愛であると同時に、罪を決して見過ごすことのない「聖なる義なる神」です。
ペテロは、歴史上の三つの事実を挙げます。
①罪を犯した御使いたち(堕天使)を地獄に投げ込んだこと、
②ノアの時代の不敬虔な世界を洪水で滅ぼしたこと、
③ソドムとゴモラの町を灰にして滅ぼしたこと。
神は罪に対する裁きをためらわれません。偽教師たちや、悔い改めのない者たちへの裁きは「昔から怠りなく行われており、彼らの滅びがまどろむことはありません」(2:3)。
■ 敬虔な者を救い出す神の御手
しかし、この恐ろしい裁きの宣言と同時に、福音の素晴らしい約束が語られます。
「主は、敬虔な者たちを試練から救い出し、不義な者たちを、さばきの日まで、罰を加えながら留め置くことを知っておられるのです。」(2ペテロ 2:9)
神はソドムからロトを救い出し、洪水からノアを救い出されました。同じように、十字架の血潮によって罪赦され、キリストを主と告白して「敬虔に歩もうとする意志」を持つあなたを、神は必ず試練から救い出し、最後まで守り抜いてくださいます。
今日のメッセージからの適用
今日、私たちは自分の人生に起こる不条理や困難に対して、どのように応答しているでしょうか。
誰かからシメイのように不当な言葉を投げつけられたとき、「自力で自分を正当化する剣」を抜くのをやめましょう。神の絶対的な主権を信じ、私たちのためにすべての呪いを背負ってくださったキリストの十字架を見上げてください。
私たちは偽教師たちのように、恵みを悪用して肉の欲望に歩む者ではありません。私たちは十字架によって「買い取られた」者です。今日、すべての主権を握っておられる神の御手に寄りかかり、神を喜ばせるための「敬虔な歩み」へと、御霊の力によって力強く立ち上がろうではありませんか。
