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聖書通読【第39週 3日目】倒れた者を立たせる「圧倒的な恵み」と、生ける石として成長させてくださる神の約束を歩む
聖書通読第39週の3日目は、自分の力を頼りとした時に人間がどれほど深く倒れるかを示すダビデの姿(第二サムエル記11章)と、私たちを「生ける石」としてキリストの土台の上に立たせ、神様ご自身が成長させてくださるというダイナミックな恵みの約束(ペテロの手紙 第一2章)について解説します。
キリストの十字架と復活の恵みは、私たちをただ「安楽椅子に座らせて休ませる」だけのものではありません。その完全な赦しに安息した者は、今度は神様の恵みの力によって力強く立ち上がり、神様の栄光を現すために前進していくのです。
【旧約聖書】第二サムエル記 11章 —— 自力の崩壊と、ただ恵みだけが必要な私たちの姿
これまで神様の御心に従い、数々の勝利を収めてきたダビデでしたが、この11章で聖書全体の中でも最も悲惨な堕落を経験します。 王たちが出陣する春になっても、ダビデはエルサレムに留まりました。「もう自分は戦わなくても、部下に任せておけば大丈夫だ」という自力の油断があったのかもしれません。その霊的な隙を突かれ、彼はバテ・シェバと罪を犯し、それを隠蔽するために忠実な部下ウリヤを戦場で謀殺してしまいます。
どんなに素晴らしい信仰の勇者であっても、「自分の力で立てる」「自分は大丈夫だ」と自力の鎧を過信した瞬間、人間の肉なる性質(古い性質)はこれほどまでに無惨に崩れ去るという絶望的な事実がここにあります。私たち人間の内側には、神様の前に誇れる「自力の義」など1ミリも存在しません。 だからこそ、私たちにはキリストの十字架が必要です。自分の力では絶対に罪の泥沼から抜け出せない私たちを救い出すために、キリストはご自身の血によって完全な代価を支払い、私たちを『罪の底なしな泥沼の中から引」き上げてくださったのです。
【新約聖書】ペテロの手紙 第一 2章 —— 座り込むのではなく、恵みによって立ち上がる
旧約聖書で「人間の徹底的な無力さと罪の深さ」を見た後、新約のペテロの手紙では、その泥沼から救い出された私たちが、復活のキリストにあってどのような存在へと造り変えられているかが語られます。
「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられなさい。」(1ペテロ 2:4-5)
神様の恵みは、泥の中から私たちを拾い上げて、「あなたは赦されたから、もうそこに座って何もしなくていいよ」と放置するようなものではありません。 キリストの十字架と復活は、私たちに「新しい命」を与えました。私たちは、絶対に揺らぐことのない「礎の石(キリスト)」の上に置かれ、神様ご自身の手によって「生ける石」として立派な家へと築き上げられていくのです。
ここで重要なのは、私たちが「自分の力(自力)で自分を立派な石に削り上げる」のではないということです。成長させてくださり、霊の家として組み立ててくださるのは、大工である【神様ご自身】です。 私たちは「自分が頑張らなければ成長できない」という自力の焦りを手放し、「神様が必ず私を成長させ、完成させてくださる」という絶対的な約束に信頼して、そこにピンと背筋を伸ばして「立つ」のです。そしてこんなものが神さまの栄光をあらわすことができる歩みをすることができるのです。神様は、わたしたちをキリストに似た者へと成長させて下さいます。私たちに必要なのは、神様を主と崇め、神さまのために生きたいと願う意志があるかどうかです。
恵みのゆえに立ち、栄光のために歩む
ペテロは続いて、私たちが恵みによって立たされた理由をこう語ります。
「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされる民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」(1ペテロ 2:9)
私たちが神様の恵みを喜ぶのは、単に「自分が地獄に行かなくて済んだから」という自己中心的な安心感のためだけではありません。 100%の完全な赦し(十字架)と、新しい命(復活)を与えられた私たちは、その圧倒的な恵みの泉から力を得て、今度は「生ける石」として立ち上がり、神様の素晴らしい愛と栄光をこの世界に告げ知らせるために歩み出します。
これは「死んだ行い(義務感や自力による苦行)」ではありません。キリストの十字架によってすべての罪の重荷(ダビデが抱えたような隠れた罪や恐れ)から完全に解放されたからこそ、私たちは軽やかな足取りで、喜びと感謝をもって歩むことができるのです。神様が私を成長させてくださるという約束があるからこそ、失敗を恐れずに堂々と前進できるのです。
今日、私が実践すべき恵みの歩み
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「自分の力で立つ」ことをやめ、キリストの土台に立つ
もしあなたが今、ダビデのように失敗して倒れていたり、自分の無力さに絶望していたりするなら、それは恵みを受け取る最高のチャンスです。「もう一度自分の力で頑張って立ち上がろう」とするのではなく、「主よ、私には立てません。キリストの完全な義という土台の上に、私を立たせてください」と、100%の恵みに寄りかかって立ち上がらせてください。 -
神様が成長させてくださることを確信し、喜びをもって歩む
「自分はちっともクリスチャンとして成長していない」と焦る必要はありません。あなたを「生ける石」として築き上げているのは神様です。今日、あなたが置かれている場所(家庭、職場、地域)で、ただ恵みを喜んで座り込んでいるだけでなく、「神様が私をここで用い、成長させてくださる」と確信して歩み出してください。あなたのその感謝と喜びに満ちた歩みそのものが、神様の最大の栄光(栄誉を告げ知らせること)となるのです。
