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【聖書通読 第44週5日目】「疲れ果てたあなたを見捨てない神、滅びゆく世から永遠のいのちへ招く愛」(列王記第一19章・ヨハネの黙示録18章)
今日の聖書通読の中心は、神様の愛と恵みは、弱さの中にいる私たちを支え、滅びから救い出し、永遠に変わらない希望を与えてくださるということがテーマです。
【旧約聖書】列王記第一19章
「もう十分です」と叫んだエリヤを、神様は優しく包まれた
預言者エリヤは、カルメル山でバアルの預言者たちと対決し、まことの神様の力を目の当たりにしました。しかし、その直後、王妃イゼベルから命を狙われ、恐怖のあまり荒野へ逃げ出します。
そして、一本のえにしだの木の下で、こう祈りました。
「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。」(19章4節参照)
あれほど勇敢だったエリヤが、今は生きる気力さえ失っています。
私たちにも似た経験がないでしょうか。
一生懸命頑張ってきたのに、思うような結果が出ない。誰にも理解されず、孤独を感じ、「もう疲れた」と心の中でつぶやくことがあります。
そんなエリヤに、神様は何をされたでしょうか。
「信仰が足りない!もっと頑張りなさい!」と叱られたのでしょうか。
いいえ、違いました。
神様は御使いを遣わし、眠っているエリヤに食べ物と水を備え、休ませてくださったのです。
なんと優しい神様でしょう。
疲れ果てた人に必要なのは、厳しい説教よりも、温かな食事と十分な休息、そして寄り添ってくれる愛なのです。
その後、神様はホレブの山でエリヤにご自身を現されます。
激しい風、地震、火が起こりました。しかし、主はそれらの中にはおられず、その後に静かな細い声が聞こえました。
神様は、圧倒的な力だけでなく、静かに語りかけるお方でもあるのです。
そして神様はエリヤに新しい使命を与え、後継者エリシャとの出会いを備えられました。
エリヤは自分一人だけが残されたと思っていましたが、神様はバアルにひざをかがめなかった七千人を残しておられました。
私たちが「もう終わりだ」と思う場所にも、神様は新しい道を備えてくださっています。
この神様の愛は、イエス・キリストにおいて最も鮮やかに現されました。
イエス様は私たちの罪のために十字架で死に、三日目によみがえられました。
私たちは自分の強さや立派な行いによって救われるのではありません。キリストを信じる信仰によって、恵みとして永遠のいのちをいただくのです(エペソ2章8~9節)。
だからこそ、救われた喜びと感謝から、この愛に満ちたイエス様を人生の主として信頼し、すべてを委ねて従って歩むことは、なんと素晴らしいことでしょう。
【新約聖書】ヨハネの黙示録18章
「永遠に残るものは何か」—— 滅びゆくバビロンと、決して滅びない神様の愛
ヨハネの黙示録18章には、大バビロンの崩壊が描かれています。
バビロンは、神様に背き、富や権力、ぜいたくを誇り、人々を惑わす世界のあり方を象徴しています。
かつて繁栄を極めたバビロンも、神様の裁きによって倒されます。
その姿を見た地上の王たちや商人たちは、富と繁栄を失ったことを嘆き悲しみます。
しかし、彼らが悲しんでいるのは、自分たちの罪ではなく、失われた利益やぜいたくな生活でした。
ここに、私たちへの大切な警告があります。
例えば、立派な家を建てる人を想像してください。
高価な家具をそろえ、美しい壁紙を貼り、誰もがうらやむ豪華な家を完成させました。
ところが、その家は砂の上に建てられていました。
大雨が降り、洪水が押し寄せると、家は崩れてしまいました。
どれほど美しくても、土台が弱ければ建物は残りません。
私たちの人生も同じです。
お金、地位、名誉、財産は、生活に役立つ大切なものです。しかし、それらを人生の究極の拠り所にするなら、いつか失われるものに希望を置くことになります。
黙示録18章4節では、天から「わたしの民よ、彼女から出て行きなさい」との呼びかけが聞こえます。
これは、神様の民がバビロンの罪に加わらず、その裁きに巻き込まれないようにという警告です。
神様の裁きは厳粛ですが、その警告の中にも、ご自分の民を守ろうとされる愛と恵みを見ることができます。
そして、この章は私たちに問いかけます。
「あなたは、やがて失われるものと、永遠に残るものの、どちらに希望を置いていますか。」
イエス様は、私たちを罪と永遠の滅びから救うために、十字架でご自身のいのちをささげ、三日目によみがえられました。
ヨハネ3章16節は、神様が御子を与えてくださったのは、御子を信じる者が滅びることなく、永遠のいのちを持つためだと教えています。
救いは、私たちが完全に従うことへの報酬ではなく、キリストを信じる者に与えられる神様の無償の賜物です。
だからこそ、私たちは恐怖からではなく、愛され救われた喜びから、イエス・キリストを人生の主、まことの王としてお迎えし、その御言葉に従って歩みたいのです。
世の富や栄光は過ぎ去ります。しかし、復活されたキリストと、その方が与えてくださる永遠のいのちは決して失われません。
今日の二つの聖書箇所から学ぶ神様の愛と恵み
列王記第一19章では、疲れ果てたエリヤを優しく支える神様の愛を学びました。
ヨハネの黙示録18章では、滅びゆく世界の富や栄光ではなく、永遠に変わらない神様に希望を置くことの大切さを学びました。
この二つの章を結びつけるのは、弱い私たちを見捨てず、救いへと招いてくださる神様の愛と恵みです。
神様は、私たちが立派だから愛してくださるのではありません。罪人であった私たちのために、御子イエス・キリストを十字架に渡してくださるほど、深く愛してくださったのです(ローマ5章8節)。
今日も、疲れたときには神様の恵みに憩い、迷ったときには御言葉に耳を傾け、すでにいただいた永遠のいのちを喜びながら歩んでいきましょう。
今日の振り返りの問い
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私は今、エリヤのように疲れ果て、神様の優しい慰めを必要としていないでしょうか。
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私は過ぎ去る富や人からの評価よりも、永遠に変わらない神様の愛に希望を置いているでしょうか。
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十字架と復活によって私を救ってくださったイエス様への感謝を、今日どのような行動で表すことができるでしょうか。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために御子をなだめの供え物として遣わされました。ここに愛があるのです。」(第一ヨハネ4章10節参照)
今日も、神様の変わらない愛と恵みに感謝し、喜びをもって主イエス・キリストとともに歩む一日となりますように。

