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(聖書通読 第11週4日目)「主にささげる“まこと”と、いのちへ向かう“悔い改め”」
今日のタイトル
「主にささげる“まこと”と、いのちへ向かう“悔い改め”」
―レビ記22章/ルカ13章(聖書通読 第11週4日目)―
説明文
神様は、形だけの信仰ではなく「主にささげる心のまこと」を求めておられます。レビ記22章は、ささげ物が“神にふさわしいもの”であるようにと教え、ルカ13章は、悔い改めを先延ばしにせず、いま神に立ち返るよう神様が招いてくださっています。今日の通読は「主の前で素直に自分自身を捧げる」ことへ私たちを導きます。
レビ記22章(内容と解説+神様からの薦め)
レビ記22章は、祭司とささげ物について「主にささげるものは、主の聖さにふさわしく」という基準を教えます。まず、汚れの状態にある者が聖なるものに近づくことを慎むよう命じられます。これは「神が遠いから」ではなく、神が聖なる方であり、私たちを軽々しく扱わないためです。神は、礼拝を“適当な扱い”にしてほしくないのです。
また、ささげ物の規定が細かく語られます。傷のあるもの、欠けのあるものは献げ物として不適切とされます。ここで大切なのは「神は意地悪だから完璧を要求する」のではなく、「神に向ける心を、軽んじた形で表してほしくない」ということです。私たちは忙しさや慣れから、主にささげる心が“ついで”になりがちです。しかし神は、主に向ける思いが真実であるようにと招かれます。
さらに「わたしの聖なる名を汚してはならない」と語られます。神の民の歩みは、神の名と結びつくからです。今日の薦めは明確です。主の前で、自分の礼拝や奉仕や祈りが「惰性」「見せかけ」「残りもの」になっていないかを静かに点検することです。そして、できる範囲でよいので、主にふさわしい“まこと”を取り戻すことです。
ルカ13章(内容と解説+神様からの薦め)
ルカ13章は、「悔い改め」と「神の国」の招きが、強く、しかし愛をもって語られる章です。冒頭で、悲惨な出来事(ガリラヤ人の事件、シロアムの塔の事故)が取り上げられます。イエス様は、被害者が特別に悪かったから起きたのだ、という考えを否定されます。そして、私たちに向けて「あなたがたも悔い改めなければ同じように滅びる」と語られます。これは脅しではなく、いのちへの警告です。人生は思い通りに延びるとは限らない。だから、いま神に向き直りなさい、という神様の愛の呼びかけです。
続く「実のならないいちじくの木」のたとえでは、神が実を求めておられること、しかし同時に“待って、手を尽くしてくださる”ことが示されます。猶予の期間は、放置ではなく、恵みの時間です。「いま方向転換できるように」と主が備えておられるのです。
また、安息日に癒された女性の出来事では、形式を守ることが人を縛るなら、それは神の心から外れていると示されます。神は人を生かす方です。さらに、狭い門の教えは「入る人が少ない」ことを強調するためではなく、「先延ばしせず、いま主に応答しなさい」と促してくださいます。
今日の神様の願いは、心の中心を主に向け直すことです。罪を自分の都合のいいように合理化して抱え続けるのではなく、主の前に持って行くことです。そして、形式ではなく、いのちを生む道として神の言葉に従いたいですね。
今日の中心メッセージ
レビ記22章は、主にささげるものを「軽く扱わないでほしい」と語ります。
ルカ13章は、悔い改めを先延ばしにせず「いま、神に向き直りなさい」と懇願して下さっています。
二つを合わせると、今日の中心は一つです。神は、形だけの信仰ではなく、心のまことを求めておられるということです。しかも神は、私たちを裁いて終わらせたいのではなく、いのちへ導くために語っておられるということです。
だから今日、主の前で主を喜ばせるものとして、主に向き直る一日にしましょう。
深く考える問い
あなたの礼拝、祈り、奉仕、日々の歩みは、主にささげる「まことの願い」から出ているでしょうか。それとも、惰性、体裁、人の目、忙しさの中で、主への思いが“残りもの”になっていないでしょうか。また、神に向き直るべきことを「もう少し落ち着いたら」「そのうちに」と先延ばししていないでしょうか。主はいつもあなたに向いてくださっています。
今日、主があなたに求めておられるのは、完璧さではなく、方向転換と真実です。いま主に向き直るとしたら、何を手放し、何を告白し、何を新しく始めますか。
今日も聖霊なる神様は、あなたを【キリストに似た者へと】変えて下さっています。幼子のように素直に委ねましょう。
