【聖書通読 第18週 第1日目】 解説「歩みの回想と、勇気ある告白」(民数記 33章・使徒の働き 7章)

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聖書通読 第18週 第1日目 解説「歩みの回想と、勇気ある告白」

【民数記 33章】神様の「恵みの足跡」をたどる旅

民数記33章は、イスラエルの民がエジプトを出発してから、約束の地を目前にしたモアブの平原に到着するまでの、実に40年間にわたる旅の全行程を振り返る章です。ここには、彼らが立ち寄った42もの拠点の名前が、整然と記録されています。
一見すると、単なる地名の羅列のように思えるかもしれません。しかし、これは神様がイスラエルの民をどのように導き、守り、養ってこられたかという、紛れもない「恵みの足跡」の記録なのです。
エジプトでの奴隷状態からの劇的な救出、紅海を渡る奇跡、荒野でのマナの供給、水が与えられた出来事、そして度重なる民の反逆と、それに対する神様の忍耐と赦し。地名の一つひとつには、イスラエルの民と神様との間にあった、数々のドラマが刻まれています。
この章を詳しく読み解くことで、私たちは神様の不変の愛と信実さを知ることができます。イスラエルの民が決して完璧ではなかったにもかかわらず、神様は彼らを見捨てることなく、最後まで約束の地へと導き続けられました。これは、現代を生きる私たちにとっても、大きな励ましとなります。私たちの人生の旅路においても、神様は常に共にいて、導き、守ってくださるという確信を与えてくれるからです。

【使徒の働き 7章】ステパノの勇気ある告白と神の救いの計画

一方、使徒の働き7章では、エルサレム教会の執事であったステパノが、ユダヤ人の最高法院(サンヘドリン)の前で、自身の信仰を大胆に証しする場面が描かれています。彼は、イスラエルの歴史をアブラハムから説き起こし、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモンといった信仰の先祖たちの歩みを引用しながら、神様が歴史を通じてどのように救いの計画を進めてこられたかを語りました。
ステパノの説教は、単なる歴史の講義ではありません。彼は、イスラエルの民が歴史を通じて、神様から遣わされた預言者たちを迫害し、神様の御心に背き続けてきたことを指摘しました。そして、その究極の姿が、神様が約束された救い主であるイエス・キリストを十字架につけて殺したことであると大胆に非難しました。
ステパノのこの告白は、彼自身の命を懸けたものでした。実際、この説教を聞いたユダヤ人たちは激怒し、ステパノを石打ちにして殺害しました。しかし、ステパノは死の直前まで、天を見上げ、神様の栄光と、神様の右に立っておられるイエス様を見つめ続けました。そして、自分を殺そうとする者たちのために、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と祈りました
ステパノの勇気ある告白と、その殉教は、初代教会に大きな影響を与えました。彼の死をきっかけに、エルサレムの教会に対する迫害が激しくなりましたが、信者たちは各地に散らばり、福音をさらに広く伝えることとなりました。また、ステパノの殉教の場に立ち会っていたサウロ(後のパウロ)は、後に劇的な回心を体験し、偉大な異邦人伝道者となりました。

神様が喜ばれること、神様が望んでおられること

民数記33章と使徒の働き7章を通して、神様が私たちに何を喜び、何を望んでおられるのかを、わかりやすく解説します。

1. 過去の恵みを振り返り、感謝すること

民数記33章が、イスラエルの旅の全行程を記録しているように、神様は私たちが過去の人生を振り返り、神様から受けた数々の恵みを思い起こすことを喜ばれます。
日々の生活の中で、私たちは目の前の問題や将来への不安に心を奪われがちです。しかし、過去を振り返り、神様がどのように私たちを助け、導き、守ってくださったかを思い起こすとき、私たちは神様の愛と真実さを再確認することができます。そして、それは今の困難を乗り越える力となり、将来への希望へと繋がります。
神様が望んでおられるのは、私たちが受けた恵みを当たり前と思わず、心からの感謝を捧げることです。感謝の心は、神様との関係を深め、私たちの人生を豊かにします。

2. いかなる状況でも、神様への信仰を告白すること

使徒の働き7章のステパノのように、神様は私たちが迫害や困難な状況にあっても、神様への信仰を大胆に告白することを喜ばれます。
ステパノは、自身の命が危険に晒されている状況でも、真理を語ることを恐れませんでした。彼は、神様の救いの計画と、イエス・キリストこそが救い主であることを、命を懸けて証ししました。
神様が望んでおられるのは、私たちが世の風潮や周囲の目に流されることなく、神様の御言葉に従い、神様への信仰を公に告白することです。私たちの信仰告白は、神様を賛美し、他の人々に福音を伝える力となります。

3. 迫害する者のためにも祈り、赦すこと

ステパノが死の直前に、自分を殺そうとする者たちのために祈ったように、神様は私たちが自分を迫害する者や敵対する者のためにも祈り、赦すことを喜ばれます。
これは、人間の感情としては非常に難しいことです。しかし、神様は私たちがイエス・キリストの愛に倣い、憎しみや復讐心から解放され、愛と赦しの心を持つことを望んでおられます。
敵のために祈り、赦すことは、神様の愛を世に示すこととなり、福音の力を証しすることに繋がります。

4. 神様の救いの計画を理解し、その一部となること

使徒の働き7章でステパノがイスラエルの歴史を通して神様の救いの計画を語ったように、神様は私たちが聖書全体を通して語られている神様の救いの計画を深く理解することを喜ばれます。
神様の救いの計画は、人類創造の時から始まり、イエス・キリストにおいて完成し、終わりの時に向かって進んでいます。神様が望んでおられるのは、私たちがこの壮大な計画の中に自分の人生を位置づけ、神様の御心を行うために、自分自身を捧げることです。
私たちは、神様の救いの計画の一部として、それぞれに使命を与えられています。その使命を全うすることが、神様への最高の礼拝となります。

5. 完璧を求めず、神様の恵みに寄り頼むこと

民数記33章で、不完璧なイスラエルの民が神様の導きによって約束の地へと近づいていったように、神様は私たちが完璧を求めず、ただ神様の恵みに寄り頼むことを望まれます。
私たちは、自分の力や努力で完璧な信仰生活を送ろうとしがちです。しかし、聖書は私たちが罪人であり、完璧ではないことを教えています。神様が望んでおられるのは、私たちが自分の弱さを認め、神様の恵みと助けを求めて、謙虚に歩むことです。
神様の恵みは、私たちの弱さの中でこそ完全に現れます。完璧を求めず、神様の恵みに寄り頼むとき、私たちは真の平安と喜びを見出すことができます。

まとめ

民数記33章と使徒の働き7章は、過去の恵みを振り返り、神様の真実さを確認すること、そして、いかなる状況でも勇気を持って信仰を告白することの重要性を教えています。
神様は、私たちが過去の恵みに感謝し、困難な状況でも信仰を証しし、敵のために祈り、赦し、神様の救いの計画を理解し、その一部として生き、完璧を求めず、ただ神様の恵みに寄り頼んで歩むことを喜ばれ、望んでおられます。
今日の聖書通読を通して、過去の導きを振り返り、今の信仰を確かなものへと変え、神様が喜ばれる生き方を志していきましょう。

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