
もう、すべてを終わりにしたいと思っているあなたへ。最後の一歩を踏み出す前に、この『逆転の物語』を読んでください。
以下に、
わかりやすく、しかし聖書からはっきりと真理を示す形で書きます。
責めるためではなく、命を守るための福音メッセージとして書かせてください。目を通してください。
この記事の目次
人はなぜもう、すべてを終わりにしてはいけないのか?
聖書が語る神様の愛と命の意味
「もう生きていたくない。」
「この苦しみから逃げたい。」
「自分なんて、いてもいなくても同じではないか。」
そのように思うほど苦しんでいる人の心は、外から見ているだけではわからない深い痛みを抱えています。
誰にも理解されない苦しみ。
自分の存在が消えてしまったように感じる孤独。
恥、失敗、絶望、疲れ切った心。
それは本当に重く苦しいものです。
まずはっきり言いたいのです。
聖書は、その苦しみを軽く扱いません。
「そんなことを考えるなんてだめだ」と、表面だけを叱る本ではありません。
聖書には、もう、すべてを終わりにしたいと思うほど苦しんだ人たちも出てきます。
エリヤもそうでした。
ヨブもそうでした。
詩篇には、押しつぶされそうな叫びが何度も出てきます。
ですから、苦しい人の心の重さを、神様は知らないのではありません。
神様はその涙を見ておられます。
その叫きを知っておられます。
その上で、なお聖書は私たちに語ります。
【人は、自分で自分のいのちを終わりにしてはならない。】
なぜでしょうか?
いのちは自分で作ったものではなく、神様から与えられたものだからです
聖書は最初にこう語ります。
「初めに神が天と地を創造した。」
(創世記1章1節)
また、人間についてこう語ります。
「神は人をご自身のかたちとして創造された。」
(創世記1章27節)
つまり、私たちのいのちは偶然できたものではありません。
神様が人を愛の対象として造られたのです。
あなたのいのちは、神様の前に意味をもって存在しています。
ですから、自分のいのちは「自分だけのもの」ではありません。
もちろん、日々その苦しみを背負っているのは自分自身です。
だからこそ、「自分の命なのだから、自分で終わらせてもいいではないか」と思いたくなることもあるかもしれません。
しかし聖書は、それとは違う見方を示します。
いのちは神様から預かっている尊い賜物なのです。
自分で作ったものではないから、自分の判断だけで処分してよいものでもありません。
たとえるなら、だれかから大切なものを預かった人が、それを勝手に壊してしまうことは許されないでしょう。
まして、いのちは神様が与えられたものです。
そこには神様の愛と目的が込められています。
神様は、あなたのいのちが傷つけられることを深く悲しまれます
聖書の神様は、冷たい神様ではありません。
ただ命令だけして見ておられるお方ではありません。
神様は、私たちを造っただけでなく、愛しておられます。
それは表面だけの愛ではありません。
見せかけでもありません。
本当の、深い、痛みを伴う愛です。
だからこそ、自分で自分のいのちを絶つことは、神様の御心に逆らうことになります。
神様は、あなたのいのちを生きてほしいと願っておられるからです。
神様は、あなたを真実に愛しておられるからです。
「殺してはならない」という戒めがあります。
(出エジプト記20章13節)
これは他人を殺してはならないというだけでなく、人のいのちそのものが神様の前でどれほど重いかを示しています。
自分のいのちもまた、神様の前で重く、尊いのです。
ですから、自分で自分のいのちを終わりにすることは、
「これ以上耐えられない」という叫びの現れであると同時に、
神様が「あなたに」与え、神様が「あなたを」愛しておられる命を、「あなたが」自分の手で絶ってしまうことでもあります。
神様はそれを深く悲しまれます。
なぜなら、あなたを深く愛しておられるからです。
人は死んで消えてなくなるのではない、ということも聖書は教えています
ここもとても大切です。
聖書は、人は死んだら無になる、消えてなくなる、とは教えていません。
むしろ、人には永遠があることを教えています。
「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」
(ヘブル9章27節)
これは厳しい言葉です。
でも、真理です。
「苦しいから死ねば終わる」
「全部消えてなくなれば楽になる」
と人は思いたくなることがあります。
けれど聖書は、死はすべての終わりではないと語ります。
だからこそ、自分の命を絶てば問題が解決する、という考えは、聖書から見ると真理ではありません。
むしろ、永遠の視点から見なければならないのです。
ここで大事なのは、恐怖だけを語ることではありません。
聖書は同時に、永遠に備える道もはっきり示しているからです。
それが福音です。
あなたを本当に愛して、あなたのためにいのちを捨ててくださった方がおられます
聖書の中心はここです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」
(ヨハネ3章16節)
この「世」の中には、あなたも入っています。
神様は、世の中のだれかを漠然と愛したのではありません。
あなたを愛されたのです。
しかもその愛は、口先だけではありませんでした。
神様は、御子イエス・キリストを与えてくださいました。
イエス様は十字架で、私たちの罪のためにいのちを捨ててくださいました。
ここをどうしても知ってほしいのです。
だれも自分のことなど思っていない、と感じることがあるかもしれません。
自分の存在なんて最初からないように思える時があるかもしれません。
人の言葉は軽く感じるかもしれません。
「愛している」と言われても信じられないこともあるでしょう。
でも、イエス・キリストの十字架だけは違います。
見せかけではありません。
うわべだけでもありません。
本物です。
あなたのためにいのちを捨てるほどの愛です。
それほどまでに、あなたは愛されています。
福音は「がんばれ」と言う前に、「あなたは愛されている」と語ります
聖書は、苦しんでいる人に、まず「もっとがんばれ」とは言いません。
まず語るのは、神様の愛です。
あなたは神様に造られた。
あなたは神様の真実な愛で愛されている。
あなたは見捨てられていない。
あなたのためにキリストは十字架にかかって尊きいのちを捨ててくださった。
この愛を知るまで、どうか自分で自分のいのちを終わりにしないでください。
なぜなら、あなたは本当の意味で一人ではないからです。
あなたの存在を軽く見ない神様がおられるからです。
あなたの苦しみの深さをご存じで、それでも「生きてほしい」と願っておられる方がおられるからです。
【わたし自身の証し】
わたし自身は、教会で初めて聖書の話しを聞きました。
分かりにくかったし、信じられないことばかりでもう帰ろうかと思ったときに・・・
メッセンジャーが【イエスキリストはあなたを愛してあなたの罪のために十字架であなたのために いのちを捨てて下さいました・・・】と聞きました。
もちろん信じられませんでした。でも、でも・・・
わたしを愛して私のためにいのちを捨てて下さったかたがおられる・・
しんじられなかったのですが、どうかこれが本当であって欲しいと心から願いました。
なぜなら、わたしのために身代わりにいのちを捨てて下さったのが真実なら、こんなすごい愛は他には絶対にないって思ったからです。
ですから、それからは、この愛が本物であってほしい偽物であってほしくないと願いながら教会に通いました。
そして、ついにこのイエスキリストの十字架がわたしのためであたと心から信じることができ、嬉しくて嬉しくてたまらず喜んで感謝しているうちにもうすぐ50年になろうとしています。
この愛されている喜びは50年たってもどんどん大きくなっています。
福音は、苦しみを一瞬で消す魔法ではありません。
でも、暗闇の中で消えない光です。
「もう終わりだ」と思うところで、なお語りかける神様の声です。
だから、一人で結論を出さないでください
苦しい時、人の心は狭くなります。
「もうこれしかない」と思ってしまいます。
でもその時こそ、一人で結論を出してはいけません。
神様に叫んでください。
「神様、苦しいです。」
「もう無理です。」
「助けてください。」
それでよいのです。
そして、人にも助けを求めてください。
信頼できる人、教会の牧師、身近な支援者、医療や相談の窓口につながってください。
助けを求めることは弱さではありません。
生きるための大切な一歩です。
今日一日だけでもよいのです。
「今日は自分で自分を傷つけない」
「今日は一人で結論を出さない」
そう決めてください。
まとめ――あなたのいのちは、神様にとって尊く、愛されている命です
人はなぜ自分のいのちを終わりにしてはいけないのでしょうか。
それは、
①いのちは神様から与えられたものであるから。
②人は死んで消えてなくなるのではなく、永遠があるから。
③そして何より、あなたは神様に深く愛されているからです。
自分では価値がないように思えても、神様はそう言われません。
だれも見ていないように感じても、神様は見ておられます。
自分で自分を見捨てたくなる時にも、神様は見捨てておられません。
そして、あなたのためにいのちを捨ててくださった方がおられます。
イエス・キリストです。
だから、どうか知ってください。
あなたのいのちは、神様の前に重く、尊く、愛されている命です。
どうかその愛を知るまで、自分で自分のいのちを終わらせないでください。
神様は、あなたが生きることを願っておられます。
たとえこの世のすべての人がわたし(あなた)を見捨てても、わたし(あなた)を見捨てない方がおられます。イエスキリストです。
今、あなたご自身に少しでも切迫した思いがあるなら、この文章に目を通すより先に、今すぐ身近な人か緊急の支援につながることが大切です。日本なら119、夜間でもよりそいホットライン(24時間)、地域の精神保健福祉センターや救急につながってください。
