
【聖書通読『ホッと一休み』】「頑張る」のをやめた宣教師 —— ぶどうの木に「休触れふれ出る命の行い
第41週の7日目、『ホッと一休み』の日を迎えました。今週も、ご自身で決めた日々の聖書通読に真剣に向き合ってこられたことでしょう。本当にお疲れ様でした!
さあ、今日は少し肩の力を抜いて、『ホッと一休み』の時間です。お気に入りのダイエットコーラや、美味しいホットコーヒーでも飲みながら、ゆったりとリラックスしてお読みください。
今週の通読では、ダビデが自分の力を誇った高慢の罪とアラウナの打ち場での悔い改め(旧約)、そしてヨハネの黙示録に登場する「死の鍵を持つ栄光のキリスト」の姿(新約)を学びました。これらが私たちに教えてくれるのは、「私たちが自力で頑張って天国のドアをこじ開けるのではない。私たちを永遠に生かすマスターキーは、すでに栄光の王が握っておられる」という圧倒的な安心感です。
今日は、自分の力で頑張りすぎることをやめ(悔い改め)、キリストの恵みに完全に寄りかかったことで、歴史を変えるほどの「偉大な行い(実)」を結んだ一人の宣教師のエピソードをご紹介します。
19世紀、中国の奥地に生涯を捧げた偉大な宣教師、ハドソン・テーラー(Hudson Taylor)の物語です。
彼は「中国の数億人のたましいを救わなければならない」という途方もない重圧の中で、毎日命がけで働き続けていました。しかし、働き始めて数年が経った頃、彼は深刻な霊的スランプ(燃え尽き症候群)に陥ってしまいます。
彼は日記に、自分の内面にある恐ろしいほどの罪深さや、信仰の冷たさへの絶望を綴りました。
「私はもっと聖くならなければならない。もっと信じなければならない。もっと祈らなければならない。」
彼は自分を厳しく鞭打ち、自力で「正しい行い」をひねり出そうと必死にもがいていました。しかし、もがけばもがくほど心は枯れ果て、イライラして仲間と衝突し、深い暗闇のどん底に沈んでいったのです。
そんな限界の最中、仲間の宣教師から一通の手紙が届きました。そこには、ヨハネの福音書15章の「ぶどうの木と枝」の真理について、こう書かれていました。
「ハドソン、どうやって信仰を強くするのか?それは『信仰を強く持とうと自分で頑張る』ことではなく、『真実な方(キリスト)の上に完全に休む』ことだよ。枝は、自分で樹液を作ろうと努力はしない。ただ、ぶどうの木につながっているだけなんだ。」
この手紙を読んだ瞬間、ハドソンの目からパラパラとウロコが落ちました。
「そうか!私は今まで、自分自身が『ぶどうの木』になろうとして、必死に樹液(聖さや愛)を作ろうと歯を食いしばっていた。でも私はただの『枝』にすぎなかったのだ。私がすべきことは、ただキリストの十字架の恵みに完全に『休む(座る)』ことだけだったのだ!」
その日を境に、彼の人生は一変しました。徹底的に自分の無力を認め、自力で神様を喜ばせようとするプライドを手放した(真の悔い改め)時、彼の心には嵐の中の凪のような「圧倒的な平安と喜び」が流れ込んできたのです。
そして驚くべきことに、自力を手放してキリストの恵みに完全に寄りかかった彼を通して、中国奥地での想像を絶するような数々の奇跡的な宣教の「行い(豊かな実)」が、泉のように結ばれていったのです。
聖書が教える「恵み・悔い改め・行い」の真髄も、まさにここにあります。
私たちが日々注ぐべき「努力」とは、自分の力(肉)で神様に認めてもらおうとする苦行のことではありません。そうではなく、自分の無力さを徹底して認め、キリストの十字架がすでに成し遂げてくださった完璧な恵みから「目を離さず、そこに留まり続けるための努力」なのです。
枝が根っこから豊かな養分を吸い上げるように、私たちが十字架の愛に深く留まる時、そこからは必ず「愛する主のために生きたい」「隣人を愛したい」という、喜びに満ちた美しい「行い」が自然とあふれ出してきます。
愛する皆さん。キリストは今、「死の鍵」を握り、あなたの人生の過去・現在・未来のすべてを安全に統治しておられます。今日という安息の日は、自力のスイッチをそっとオフにして、この偉大な王の懐にすっぽりと抱かれてください。
「主よ、私はただの枝です。今日、あなたの恵みの樹液で私を満たしてください。」
その祈りから、新しい一週間の力が必ず与えられます。素晴らしい主日(日曜日)の安息を、心ゆくまでお楽しみください!

