聖書通読【第42週 6日目】小羊の血で洗われた「白い衣」 ― 恵みに生かされ、仕える人々(列王記 第一 8章 / ヨハネの黙示録 7章)

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聖書通読【第42週 6日目】小羊の血で洗われた「白い衣」 ― 恵みに生かされ、仕える人々(列王記 第一 8章 / ヨハネの黙示録 7章)

① 神様の栄光が満ちた日

神殿ができあがり、契約の箱が運びこまれると、雲が主の宮に満ちました。祭司たちは、その栄光のために立って仕えることができなかったほどです(1列王8:10〜11)。

このときソロモンは、とても謙遜な祈りをささげました。「天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません」(8:27)。どんなに立派な建物を建てても、神様を閉じこめることはできない。神様が来てくださること自体が恵みなのだと、ソロモンは知っていたのです。

② ソロモンの祈りの中にある「悔い改め」

この祈りには、大切なことばが何度も出てきます。それは、「もし民が罪を犯しても、心を翻(ひるがえ)してあなたに立ち返るなら、どうか聞いて赦してください」という願いです(8:46〜50)。

ソロモンは「罪を犯さない人間はひとりもいない」(8:46)と正直に認めています。神殿は、きよい人だけが集まる場所ではありません。罪人が悔い改めて、神様のもとに帰ってくる場所だったのです。

本当の悔い改めとは「罪から離れて、神様の方へ向きを変えること」です。

③ 数えきれない白い衣の大群衆

黙示録7章では、すべての国、部族、民族、国語から集められた、だれにも数えきれない大群衆が登場します。白い衣を着て、手になつめやしの枝を持ち、御座と小羊の前に立っています(7:9)。

長老が「この人たちはだれか」と問い、答えが示されます。彼らは「小羊の血で洗って、白くした」人々なのです(7:14)。

④ 赤い血で、白くなる不思議

ここで考えてみてください。白いシャツに赤いしみがついたら、ふつうは赤い液体で洗いませんね。もっと赤くなってしまいます。

ところが、神様の世界では逆のことが起こります。イエス様の赤い血で洗うと、罪で汚れた衣がまっ白になるのです。イザヤ書にも、罪が緋のように赤くても「雪のように白くなる」と約束されています(イザヤ1:18)。

大切なのは、彼らが自分の力で衣を白くしたのではないということです。良い行いという「洗剤」で、こすって落としたのではありません。自分ではどうにもならない汚れを認めて悔い改め、100%イエス様の血潮によってきよめられたのです。これが「恵み」です。

⑤ 白い衣を着た人は、仕える人になる

では、白い衣を着た人々は、天でのんびり休んでいるだけなのでしょうか。いいえ。彼らは「昼も夜もその聖所で神に仕えている」のです(7:15)。

本当に救われた人は必ず変えられます。行いは救いの「代金」ではありません。しかし、救われた人の中に必ず生まれてくる「実」です。

たとえば、おぼれかけたところを助けられた人が、助けてくれた人に「ありがとう」と言うだけで終わるでしょうか。きっと「この方のために何かしたい」と思うはずです。恵みを本当に知った人は、仕えずにはいられなくなるのです。

⑥ もう涙のない世界

この章の最後には、すばらしい約束があります。小羊が彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導き、神様が彼らの目から涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです(7:17)。

今、苦しみの中にいる人も、この約束を知っています。どんな涙も、神様がぬぐってくださる日が必ず来ます。そのゴールから今を見るとき、私たちは今日を希望をもって歩むことができます。

⑦ 今日のまとめ ― 白い衣に胸を張って

イエス様を信じる私たちも、すでに小羊の血で洗われた白い衣を着せていただいています。

「どうせ赦されるから」と、恵みにあぐらをかくのはやめましょう。それは、プレゼントの包みだけをもらって、中身を開けないようなものです。

救われた者としての喜びに胸を張り、今日からまた、聖霊なる神様の力に依り頼んで、イエスキリストを王としてお仕えしていきましょう。

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