【聖書通読 第33週 1日目】悔い改めなき「便利な救い主」の悲劇と、主に喜んで従う者の絶対的な希望『第一サムエル4章&第一テサロニケ4章』

この記事の目次

【聖書通読 第33週 1日目】悔い改めなき「便利な救い主」の悲劇と、主に喜んで従う者の絶対的な希望

聖書通読第33週の1日目です。今日は、神様を「救い主」として利用しながら「主」としては従わなかった人間の悲劇(旧約)と、キリストの主権に完全に服従して生きる真の信仰者に約束された「死を越える絶対的な希望」(新約)について、深く掘り下げて味わいます。

【旧約聖書】第一サムエル記 4章 —— 「便利な救い主」だけを求め、「主」としては従わなかった人間の悲劇の結果

第一サムエル記4章では、イスラエルとペリシテ人との間に激しい戦争が起こります。最初の戦いでイスラエル軍は大敗し、4000人もの兵士が命を落としました。
パニックに陥ったイスラエルの長老たちは、敗因を「自分たちが神様から離れ、罪を犯していること」には求めませんでした。彼らは悔い改めて生き方を変える(方向転換する)ことをせず、代わりにこう言います。
「シロから主の契約の箱を私たちのところに持って来よう。それが私たちの真ん中に来れば、敵の手から私たちを救ってくれるだろう。」(1サムエル4:3)
ここで、「アラジンの魔法のランプ」や「神社の(お)守り」を思い浮かべてみてください。 ランプの魔神は、ご主人様の「願い」を無条件で叶えてくれますが、ご主人様の「生き方や道徳」には一切干渉しません。イスラエルの人々は、神様をまさにこの魔法のランプのように扱いました。
 イスラエルの大罪は、神様を「自分たちを地獄やピンチから救い出してくれる便利な『救い主』」としては熱烈に歓迎したものの、自分たちの生き方を根本から変え、罪を捨てて従うべき「絶対的な主」としては拒絶したことです。 彼らは「契約の箱という強力なアイテム(あるいは『信じます』という口先だけの告白)さえあれば、自分の罪を悔い改めなくても、神様は自動的に救ってくれるはずだ」という、いわゆる「安価な恵み(悔い改めを伴わない都合の良い信仰)」に陥っていたのです。
しかし、結果はどうだったでしょうか。イスラエルは前よりもさらに悲惨な大敗を喫し、3万人が倒れ、祭司エリの息子たちは戦死し、「神の契約の箱」そのものが敵に奪われました。
これは現代の私たちに対する非常に厳粛な警告です。 私たちは時に、自分の罪深いライフスタイルを変える意志(悔い改め)が全くないまま、「バプテスマを受けたから」「『イエス様を信じます』と祈ったから」という理由だけで、神様が自分の人生を祝福し、天国に入れて「くれなければならない」と勘違いすることがあります。しかし、聖書が教える通り、「イエス・キリスト主』として服従する意志のない信仰は、真の救いに至る信仰ではない」と言えます。神様は私たちが都合よく操作できる「自動販売機」ではありません。天地を治める絶対的な主権者です。

【新約聖書】第一テサロニケ人への手紙 4章 —— 主に従う者に与えられる「おやすみなさい、また明日」

旧約聖書で「悔い改めなき偽りの信仰」の悲惨な結末を見た後、新約聖書の第一テサロニケ人への手紙4章では、キリストを真の「主」として迎え入れた人々に用意されている「絶対的な希望」が語られます。
パウロは、この希望(13節以降)を語る直前の1〜8節で、まず
「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となること(聖化)です」
と厳しく命じ、不品行を避け、主の命令に従って生きることを求めています。つまり、聖書を深く読む時、ここに書かれている「死を越える希望」は、好き勝手に生きている者への無条件の慰めではなく、キリストの主権に服従し、日々自分を捨てて(十字架を負って)聖化の道を歩んでいる真の弟子たちに向けられた特権なのです。
当時のテサロニケの教会は、激しい迫害の中にありました。命を落とす信者たちが出始め、「キリストが戻られる前に死んでしまった愛する家族や友人は、どうなるのだろうか?永遠の別れなのだろうか?」という不安が広がりました。
この深い悲しみに対して、パウロは明確に、そして優しく答えます。
「眠りについた人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。望みを持たないほかの人々のように、あなたがたが悲しむことのないためです。」(1テサロニケ4:13)
ここで、「夜、子どもをベッドに寝かしつける親」の姿を想像してみてください。 親が子どもに布団をかける時、「もう二度と会えないんだ!」と思って号泣する親はいません。「おやすみなさい。また明日の朝ね」と微笑みます。なぜなら、夜が明ければ再び目を覚まし、会えると「確信」しているからです。
聖書は、キリストを主として生き抜いた者の死を「永遠の滅び」ではなく「眠り」と表現します。 イエス・キリストご自身が、十字架の死を打ち破って三日目に復活されました。
そのキリストを人生の「主」として信じ、従った私たちにとって、死はもはや「人生の終止符(ピリオド)」ではなく、永遠の命へと続く「読点(カンマ)」に変わったのです。
キリストが再び天から下って来られる時、主にあって眠りについた真の信者たちが真っ先に復活し、空中で主と出会う。クリスチャンにとっての死の別れは、「さようなら」ではなく、「おやすみなさい、またキリストが来られる輝かしい朝に会おうね」という約束なのです

今日の神様からの奨め —— 救い主を「主」として生きる本物の信仰

私たちは日々の生活の中で、困難や不安に直面すると、ついイスラエルの人々のように神様を「問題を解決するだけの道具」として利用したくなります。
しかし今日、神様はあなたにこう語りかけておられます。 わたしを、あなたの計画を成就するための道具にするのをやめなさい。あなた自身の罪から離れ(悔い改め)、わたしをあなたの人生の『絶対的な主』として心の王座に迎えなさい。真の服従が伴う信仰にこそ、死さえも越える本物の希望が宿るのです。」と。
もし今、あなたの心に「なぜ神様は私の願い通りに動いてくれないのか」という不満があるなら、少しだけ立ち止まって、
自分の信仰が「救い主の恩恵だけを求め、主権には服従しない安価なもの」になっていないか探ってみましょう
「神様、私の計画を祝福してください」という祈りから、「主よ、私は自分勝手な願いを捨てて、あなたの御心に従います」という悔い改めと服従の祈りへとシフトする時、私たちの心にはキリストが与える真の平安が訪れます。
そして、キリストを主として歩む私たちには「キリストの復活と再臨」という、どんな暗闇にも奪われない絶対的な希望が約束されています。この希望があるからこそ、私たちは悲しみの中に留まることなく、聖化の道を力強く歩みイエスキリストに似たものと成長し続けることができるのです。 今日、あなたが内側に持っている「輝かしい復活の希望」が、あなた自身の歩みを聖く保ち、また周囲の凍えた心を温める豊かな一日となりますようにお祈りしています。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事