聖書通読【第39週 6日目】十字架という「完璧な連れ戻し計画」と、不安の荷物を神に明け渡し神様の御心に沿った歩み

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聖書通読【第39週 6日目】十字架という「完璧な連れ戻し計画」と、不安の荷物を神に明け渡し神様の御心に沿った歩み

愛される価値もなく、罪に裁かれて当然であった私たちが、イエス・キリストの十字架と復活という100%の恵みによって救われました。ならば、その後の私たちの歩みもまた、「100%の恵み」を土台とする以外にありません。
聖書通読第39週の6日目は、追放された私たちを連れ戻す神様の深い愛(第二サムエル記14章)と、その愛のゆえにすべての思い煩いを手放し、ただ神様を喜ばせるために歩む恵みの姿(ペテロの手紙 第一 5章)について解説します。

1.第二サムエル記 14章 —— 十字架という「完璧な連れ戻し計画」

■ 追放された者を連れ戻す「御計らい」

アムノンを殺害し、父ダビデの怒りを恐れて遠くへ逃亡したアブシャロム。ダビデの心は彼を慕っていましたが、正義と王としての立場から、彼を連れ戻すことができずにいました。その状況を見かねた将軍ヨアブは、テコアの知恵のある女を使ってダビデに進言させます。その女の言葉の中に、福音の驚くべき真理が隠されています。
「神は命を奪うことはせず、追放された者がご自分から離れ去ったままにならないように、御計らいをなさいます。」(2サムエル 14:14)
アブシャロムは、自らの罪によって追放されて当然の者でした。これは、罪のゆえに神様から遠く離れ、裁きを恐れて逃げ回っていたかつての私たちの姿です。
しかし神様は、私たちが永遠に追放されたままになることを決して望まれませんでした。「命を奪う(裁いて滅ぼす)」ことではなく、どうにかして私たちを恵みの家へと連れ戻すための「完璧な御計らい(計画)」を立ててくださったのです。

■ 愛される価値なき者を招く、一方的な恵み

その「御計らい」の究極の姿こそが、イエス・キリストの十字架です。
神様は、ご自身のひとり子に私たちのすべての罪と呪いを背負わせ、十字架で処罰されました。私たちが「受け取るにふさわしい立派な行い」をしたからではありません。裁かれて当然の、愛される価値なき私たちをただ一方的に愛し、完全な赦しをもって連れ戻すためです。
私たちはこの十字架の前に立つ時、「ただ信じるだけで、こんな私が神様の子どもとして連れ戻されたのだ」という、ひれ伏すような感謝と恵み(座る経験)に圧倒されるのです。

2.ペテロの手紙 第一 5章 —— 不安の荷物を明け渡し、御心に沿って歩む

■ 自力の「思い煩い」を手放す

恵みによって救われた私たちは、今度は恵みによって生かされ、恵みによって歩む者とされました。ペテロの手紙第一5章には、その歩みのための大切な鍵が記されています。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ 5:7)
私たちはしばしば、救われた後も「立派なクリスチャンとして歩まねば」「自分の力で良い行いをしなければ」と、自力の荷物(思い煩い)を背負い込んでしまいます。しかし、自分の力で歩もうとする時、そこには必ず「失敗したらどうしよう」「神様に喜ばれていないのではないか」という不安と焦りが生まれます。
ペテロは、「その思い煩いを、いっさい神に明け渡しなさい」と命じます。なぜなら、十字架という最大の代価を払ってまであなたを連れ戻してくださった神様が、これからのあなたの歩みについても、全責任をもって「心配し(心にかけ)」、面倒を見てくださるからです。私たちが自分の手で握りしめている不安の荷物をすべて神様に明け渡して両手を空っぽにした時、初めてそこに「神様の力」が流れ込みます。

■ 恵みに押し出された「良い行い」と神への栄光

荷物を明け渡した空っぽの手で、私たちは何をすべきでしょうか。
「神様、あなたはこんな私を一方的な恵みで救い出してくださいました。私はもう、自分の手柄や自分の救いのために生きる必要はありません。だからこそ、今度はただ純粋に、あなたを喜ばせたいのです。あなたの御心に沿った『良い行い』を通して、あなたのご栄光をあらわしたいのです。」
この「従いたい」「喜ばせたい」という尊い意志こそが、恵みを知った者だけが持つことのできる生きた信仰です。
恵みにあぐらをかいて何もしないのではなく、あまりにも大きな愛に心が溶かされ、感謝が溢れて止まらなくなり、自然と神様の御心に沿った歩みへと押し出されていく。これこそが「恵みを土台とした歩み」です。
私たちがその意志を働かせる時、神様は私たちが良い行いを全うできるように、聖霊なる神様を通して豊かな力を供給し、確実に成長させてくださいます。

今日、私が実践すべき恵みの歩み

  • 「完璧な連れ戻し計画」に深く感謝し、恵みにくつろぐ

    今日、自分が神様の愛を受けるにふさわしくないと感じる時こそ、十字架を見上げてください。「それでも神様は、私を連れ戻すためにキリストの命を投げ出してくださった」という事実の中に、あなたの思い煩いのすべてを投げ込んで、平安を味わいましょう。
  • 「ただ神様を喜ばせたい」という意志で今日を歩む

    「〜しなければならない」という義務感の荷物を下ろしてください。そして、「私は今日、どんなことで神様を笑顔にできるだろうか」と、感謝の意志を働かせてください。あなたが祈り、誰かに親切にし、目の前の小さな奉仕をするとき、それは自力の苦行ではなく、恵みの泉からあふれ出る「神様の栄光をあらわす生きた歩み」となるのです。 


 

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