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【第39週 7日目・ホッとひと休み】無力なまま王の食卓に招かれた恵みと、すべての思い煩いを十字架に下ろす週末
今週の聖書通読を通して、私たちは「人間のどうしようもない無力さ(自力の限界)」と、それを完全に覆い尽くす「キリストの十字架と復活による圧倒的な恵み」を繰り返し見つめてきました。週末の今日は、心に背負い込んだ重い荷物をすべて下ろし、神様の深い愛の中でホッとひと休みしましょう。
足が不自由なまま着く「恵みの食卓」
今週の聖書通読箇所で最も美しく『福音』を物語っていた場面の一つが、ダビデ王によるメフィボシェテの招き(第二サムエル記9章)でした。
両足が不自由で自力で歩けず、「自分は殺されるのではないか」と恐れて辺境の地ロ・デバルに隠れていたメフィボシェテ。しかしダビデは、彼の能力や立派さを一切問わず、ただ「契約のゆえに」彼を王宮に招き入れ、永遠に王の食卓で食事をする特権を与えました。
これは、イエス・キリストに出会った私たちの姿そのものです。私たちは霊的死んでいて自分の罪に対して完全に無力であり、自分の行いで神様の基準を満たすことは絶対にできませんでした。
しかし神様は一方的な愛と恵みのゆえに、キリストの十字架の血潮による「新しい契約」の福音を備えて下さいました。愛される価値のない私たちを無条件で探し出し、天の王の食卓へと引き上げるために「救いの福音(イエスキリストの十字架と復活)」を備えったのです。
行い努力ではなく、神様を無視し逆らい神様の栄光を奪っていたという恐ろしい罪を悔い改め、ただ福音を受け入れる信仰を働かせるだけで神様は全ての罪を赦し神の子としてくださったのです。
食卓の美しいテーブルクロスがメフィボシェテの不自由な足をすっぽりと覆い隠したように、キリストの十字架による神の義が、私たちのすべての弱さと失敗という罪を完全に覆い隠したのです。
私たちは「ちゃんとした人間にならなければとか、努力で自分の罪をなんとかしなければ」と背伸びをする必要はありません。無力なまま、弱いままの姿で、信仰によって与えられた神様の義の衣(イエスキリスと)を着た者として堂々とその食卓の特等席に座って良いのです。
「自力のポンプ」を止め、思い煩いを明け渡す
私たちは救われた後も、無意識のうちに「自分でなんとかしなければ」「立派な歩みをしなければ」と、自力のポンプを必死に漕いでしまいがちです。今週登場したアブシャロムのように自分で裁きの木槌を握りしめたり、ダビデのように自己弁護の仮面を被って罪を隠そうとしたりして、魂が疲れ果ててしまいます。
しかし、ペテロは私たちにこう語りかけます。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ 5:7)
「思い煩い」とは、私たちが自分の力で人生をコントロールしようとする時に生まれる重い荷物です。しかし、ひとり子の命を十字架で投げ出してまであなたを連れ戻してくださった神様が、これからのあなたの人生を放置するはずがありません。神様は、あなたの健康も、家族のことも、将来の不安も、すべて「心配して(心にかけて)」くださっています。ですからあなたは・・・
恵みに「座り」、神様の力によって「立ち」、神様の御心に沿った行いに「歩む」決意、意志を明確にして下さい。
今週の締めくくりである今日は、あなたが両手に握りしめている「自力の努力」や「不安の荷物」を、一度すべてキリストの十字架の足元にドスンと下ろしてみてください。
「神様、私には自分の力で歩む力がありません。明日の不安も、自分を変えることも、すべてあなたにお任せします。そしてあなたのご栄光のために歩みたいです。」と白旗を揚げる時、そこには言葉に尽くせない絶対的な平安が流れ込んできます。
あなたはもう、神様の完全な怒りを受ける子でも、追放された逃亡者でもありません。キリストの復活の命によって、永遠に愛され、大切に守られている神様の子どもです。
この週末、100%の恵みのみ座にゆったりと腰を下ろし「座って」下さい。天のお父様の懐で「ホッとひと休み」してください。あなたの魂が十字架の愛によって深く癒やされ、また新しい一週間、神様が備えてくださるイエスキリストの復活の力によって「立ち」、喜びとともに「歩み」出すことができますように。
