【聖書通読 第24週1日目】永遠の腕の支えと、互いを受け入れる愛(申命記33章ローマ15章)

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【聖書通読 第24週1日目】永遠の腕の支えと、互いを受け入れる愛(申命記33章ローマ15章)

モーセの祝福を通して神の民であることの比類なき幸福を味わい、同時に、キリストが私たちを受け入れてくださったように、違いを超えて互いを受け入れ合う愛の姿勢を学びます。

【旧約】申命記 33章

申命記33章は、120歳の生涯を終えようとしている偉大な指導者モーセが、死の直前にイスラエルの各部族に向けて語った、愛情あふれる最後の「祝福の言葉」です。創世記でヤコブが死の床で語った祝福と似ていますが、モーセの言葉はより圧倒的な喜びと希望、そして神の守りへの絶対的な信頼に満ちあふれています。

その中で、聖書全体を通しても最も美しく、慰めに満ちた言葉の一つが語られます。

「昔からの神はあなたの住みか、下には永遠の腕がある。」(申命記 33:27)

ある夜、一軒の家が火事になり、2階の部屋に幼い少年が取り残されてしまいました。炎と煙が迫る中、少年は窓から身を乗り出しましたが、下は真っ暗な煙に覆われて何も見えません。その時、下から父親の必死な叫び声が聞こえました。 「お父さんがここにいる! 両手を広げて待っているから、思い切って跳び降りなさい!」 少年は泣き叫びました。「でもお父さん、僕からはお父さんの姿が見えないよ!」 すると父親は答えました。「お前からお父さんが見えなくても大丈夫だ。お父さんからは、お前の姿がはっきりと見えている! 必ず受け止めるから跳びなさい!」 少年は父親の声を信じて暗闇の中に身を投げ出し、次の瞬間、父親の力強い腕の中にしっかりと抱きとめられ、命を救われました。

私たちの人生も同じです。将来への不安や突然の試練という煙に巻かれ、足元が見えなくなり、「もう落ちてしまう」と絶望する時があります。しかし、神様は「あなたがどこまで深く落ち込んでも、その一番下には、あなたを必ず受け止める『わたしの永遠のみ腕』が待っているから大丈夫だ」と約束してくださっています。

だからこそ、モーセは最後にこう高らかに宣言するのです。

「イスラエルよ、おまえは幸せだ。だれがおまえのようであろうか。主に救われた民。」(申命記 33:29)

私たちが幸せなのは、環境が完璧だからでも、お金がたくさんあるからでもありません。絶対に落とすことのない「永遠の腕」に、いつでも下から抱きかかえられているからです。

【新約】ローマ人への手紙 15章

ローマ人への手紙15章は、教会という共同体の中で、立場の違う者同士がどのように関わり合うべきかを教えています。

「私たち強い者は、強くない者の弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。」(ローマ 15:1)

これを、険しい山を登る「登山隊」に例えてみましょう。 チームの中には、体力があり早く登れる「強い人」と、体力がなくすぐ息切れしてしまう「弱い人」がいます。もし、強い人が自分のペースだけでどんどん先へ進んでしまったら、弱い人は取り残され、チームはバラバラになって遭難してしまいます。 本当の「強い人」とは、自分の体力をひけらかす人ではなく、弱い人の重いリュックを代わりに背負い(弱さを担い)、その人が歩けるペースまで自分の歩幅を落として寄り添える人のことです。全員で励まし合いながら、共に頂上で美しい朝日を見ることこそが、登山の本当の喜びだからです。

当時のローマ教会にも、ユダヤ人と異邦人という、文化も考え方も全く違う「強い者」と「弱い者」が混在し、摩擦が起きていました。パウロは彼らに、こう呼びかけます。

「ですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。」(ローマ 15:7)

イエス・キリストは、罪にまみれ、霊的に全くの「弱い者」であった私たちを、見捨てたり見下したりすることなく、ご自身の命を投げ出して泥だらけの私たちをそっと抱きしめ、天の家族として受け入れてくださいました。 「あの完全なイエス様が、このどうしようもない私を受け入れてくださったのだから、私も目の前にいる、少し考え方の違う兄弟姉妹を、愛をもって受け入れよう」。このキリストの十字架の愛への感動こそが、私たちが違いを乗り越えて一つになるための、唯一の原動力なのです。

パウロ自身もこの愛に押し出され、「まだキリストの名前が語られていない場所へ行きたい」と、遠くイスパニヤ(スペイン)への宣教という熱いビジョンを燃やし続けました。

今日一日の神様からの奨め

今日、もしあなたが何か重いプレッシャーや不安を感じているなら、思い出してください。あなたの人生の底には、絶対に破れることのない「神様の永遠の腕」が広げられています。自分で何とかしようと肩の力を張り詰めるのをやめ、その温かいみ腕の中に、自分の重さをすっぽりと委ねてみましょう。

そして、その大きな愛のみ腕に抱かれている安心感の中で、あなたの周りにいる人たちを見渡してください。歩みが遅い人、意見が合わない人に対して、イライラするのではなく、「イエス様が私を受け入れてくださったように、私もこの人たちを受け入れよう」と、歩幅を合わせる優しさを選択してみませんか。神様の永遠の腕に支えられながら、互いに愛の荷物を担ぎ合う、喜びに満ちた一日となりますように。

時間に余裕のある方へ・・・聖歌525番

聖歌525番「語り告げばや」イエス様の福音を語り続けたいという願い

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