聖歌525番「語り告げばや」イエス様の福音を語り続けたいという願い

聖歌525番「語り告げばや」は、英語の讃美歌 I Love to Tell the Story の訳詞です。作詞者はイギリスの女性、アラベラ・ハンキー(1834~1911)。彼女は病床にあった時、自らが受けたキリストの愛と救いの喜びを忘れることができず、「イエス様の物語を語り続けたい」という願いを込めて長い詩を書きました。その一部にアメリカの音楽家ウィリアム・フィッシャーが曲をつけ、世界中で愛される聖歌となりました。

【語り告げばや―世を去る日までイエスの愛を】

「語り告げばや 世を去る日まで 語り告げばや イエスの愛を」
この聖歌を歌うたびに、私たちは「何を人生の最後まで語り続けたいのか」を問いかけられます。
作詞者アラベラ・ハンキーは、病気の苦しみの中で、改めてイエス・キリストの愛の大きさを思い起こしました。そして、「私が受けたこの恵みを、一人でも多くの人に伝えたい」という願いが心から湧き上がったのです。
聖書にはこう記されています。
「私は大いなる会衆の中で、義の良い知らせを告げ知らせました。 ご覧ください。私は私の唇を閉じません。 主よ。あなたがご存じです。」 (詩篇40篇9節)
ダビデは神の恵みを黙っていることができませんでした。救われた喜びが、自然に証しとなったのです。
ある日、一人の少年が教会学校で「イエス様はあなたを愛しておられます。あなたの罪の身代わりに十字架で死んでくださいました・・・」という福音を聞きました。その少年は嬉しくて嬉しくてたまらなくなりました。それで家に帰ると、病気で寝ている母親にすぐこう言いました。
「お母さん、教会学校の先生がね、イエス様は僕たちの罪のために十字架にかかって死んでくださったんだって。そして三日目に復活された救い主なんだって。そして今も愛してくださっているんだって。」
その言葉を聞いた母親は涙を流しながら、
「そんなに愛してくださるお方がおられるなら、私もその方を信じたい。」
と言って教会に導かれたといいます。
子供の語ったことは立派な説教ではありません。難しい神学でもありません。ただ、受けた恵みを語っただけでした。喜びと感謝だけを伝えたくて伝えたくてたまらなくなって母親に語りました。
使徒パウロも言いました。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」 (ローマ人への手紙1章16節)
またペテロも、
「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」 (第一ペテロ3章15節)
と勧めています。
ある村に、一人の老人がおりました。毎朝、近所の子どもたちに笑顔で「おはよう」と声をかけ、その老人は子供たちに「神様はあなたを愛しておられるよ」と語り続けていました。何年も何年も神様の愛を語りました。イエスキリストの十字架と復活の福音をただ来る日も来る日も語り続けました。
やがて老人は天に召されました。しかし、その葬儀の時、多くの若者たちが集まりました。
「子どもの頃、おじいさんの神様の福音の言葉に励まされました。」
「わたしは、おじいさんが教えてくれたイエス様を信じています。」・・・
と証ししたのです。
老人は有名な伝道者ではありませんでした。
しかし、「世を去る日までイエスの愛を語り告げた人」でした。
第三節には、
「見よ ちまたは 飢え渇きたる人に満てり」
とあります。
現代も同じです。
物は豊かになっても、心の平安を失い、孤独に苦しみ、生きる意味を求めている人が大勢います。
主イエスは言われました。
「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」 (ヨハネの福音書6章35節)
また、
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネの福音書3章16節)
この愛の物語は二千年前の古い話ではありません。
罪を赦し、絶望を希望に変え、死を越えて永遠のいのちを与える、日々新しい福音です。
私たちもまた、この聖歌の作者と共に願いたいものです。
「語り告げばや 世を去る日まで 語り告げばや イエスの愛を。」

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