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聖書通読【第43週 6日目】偽りの仮面を脱ぎ捨て、「小羊のいのちの書」に記された圧倒的な喜びを生きる (列王記 第一 14章 / ヨハネの黙示録 13章)
今日の聖書箇所には、一見すると厳しい宣告や、世を覆う恐ろしい権力の幻が登場します。しかし、「キリストの絶対的な主権」というレンズを通してこの箇所を読むとき、私たちキリスト者の心には、恐れではなく「決して奪われることのない、あふれんばかりの喜びと平安」が湧き上がってきます。
なぜなら、私たちが誰のものとされているかが、ここにはっきりと描かれているからです。
人間の変装を見抜かれる神の愛(列王記 第一 14章)
北王国イスラエルの王ヤロブアムは、神に背いて偶像(金の子牛)を造り、自力で自分の王国を守ろうとしていました。彼の息子が重い病に倒れた時、ヤロブアムは妻を変装させ、身分を隠して預言者アヒヤのもとへ行かせます。神からの祝福や癒しは欲しいけれど、自分の罪や真の姿は隠しておきたいという、人間の「肉の弱さ」の象徴です。
しかし、神様は目がかすんだ老預言者アヒヤに、彼女が誰であるかを最初から教えておられました。神様の目は、私たちが必死にまとっている「立派なクリスチャンという変装」や「自分の力でなんとかできるという仮面」をすべて見抜いておられます。
これは怖いことではありません。むしろ最高の喜びです!
なぜなら、「真の悔い改め」とは、神の御前でこの仮面を脱ぎ捨て、「主よ、私には自分の力で人生を立て直す力は1ミリもありません」と完全に降伏することだからです。神様は、私たちが立派だから愛するのではなく、罪にまみれ、無力で空っぽになった私たちを、ただキリストの愛のゆえに圧倒的な恵みで抱きしめてくださるのです。自力という重い仮面を脱ぎ捨てる時、そこにはキリストの愛にすっぽりと包まれる自由と安息があります。
「いのちの書」に記されているという絶対的な保障(ヨハネの黙示録 13章)
一方、黙示録13章には、神に敵対する世のシステムや権力(象徴的な獣)が登場し、全世界を惑わそうとします。人々は目に見える力や経済的な脅し(獣の刻印)に恐れをなし、世の価値観にひれ伏してしまいます。
しかし、ここにクリスチャンの最大の喜びの爆発があります!
全世界が惑わされる中で、決して世の力にひれ伏さない人々がいます。それは
「ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めから名が書き記されている者たち」(黙示録 13:8)です。
私たちが世の力や誘惑に勝利できるのは、私たちが精神的に強いからでも、頑張って信仰を絞り出しているからでもありません。天地が造られる前から、神の圧倒的な恵みによって、あなたの名前が「キリスト(小羊)のいのちの書」に、決して消えない血文字で刻み込まれているからです。
全権をゆだねた者の「あふれる喜び」
「自分の人生の王座」から降りて、キリストを真の主であり主人としてお迎えした人は、この世のどんな脅かしにも、将来のどんな不安にも怯える必要がありません。あなたの人生のコントロール権は、すでにあなたを命がけで、いえ「いのちを捨ててまで愛してくだり甦られて今共に居(お)られる『全能の王』」の御手の中に完全に移されているからです。
世の中のシステムがどう変わろうと、自分の健康や経済がどのように揺れ動こうと、「私の名前は、王なるキリストのいのちの書に記されている!私はキリストのものだ!私はキリストとともに生きている。」という事実だけは、誰にも奪うことができないのです。
真の悔い改めを通して人生をキリストに明け渡した心には、義務感からの苦しい歩みではなく、「こんな無力な私を永遠に愛し、守り抜いてくださる主への感謝」が泉のように湧き上がります。
この喜びこそが、私たちが喜んでみことばに従い、神様を愛し、隣人を愛し、日々の生活を誠実に歩むための「真の行い」の原動力(御霊の励ましの力)となり、御霊の実を実らせてくださるのです。
今日、あふれる喜びを胸に生きる
今日、あなたが直面する課題や問題や困難の中で、「自分の力で何とかしなければ」という恐れの仮面をかぶりそうになったら、すぐに天を見上げてください。
そして、「主よ、私は今日、自分の弱さを隠しません。私の全権はあなたのものです。私の名前をいのちの書に記してくださったあなたの絶対的な恵みに、今日も感謝して神様あなたの胸に飛び込みます!」と決断しましょう。 あなたが抱えているその重荷を、王なるキリストはすでに背負ってくださっています。
どうか今日、あなたがキリストに完全に所有されているという「圧倒的な喜び」と「揺るぎない平安」で、あなたの心が満ちあふれますように。

