つまずいても神様の御手の中:サタンの3つの訴えを打ち破る執りなしと、つまずきを「最高の益」に変える神様の恵み

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つまずいても神様の御手の中:サタンの3つの訴えを打ち破る執りなしと、つまずきを「最高の益」に変える神様の恵み

つまずいても神様の御手の中:サタンの3つの訴えを打ち破る執りなし(聖霊なる神様と御子イエスキリスト)と、つまずきを「最高の益(イエスキリストに似た者へ変えられる)」に変える三位一体なる神様の恵み

救いの三段階と、現在進行形の「つまずきの現実」

すでに与えられた義認と、約束された栄化

キリスト教神学において、神様が私たちに与えてくださる「救い」には、三つの壮大な段階があります。
第一の段階は、私たちが信じた瞬間に過去のものとして完了した「罪の裁きからの救い(義認)」です。キリストの十字架のゆえに、あなたは神の法廷ですでに「完全な無罪」と宣言されています。
そして第三の段階は、やがて天の御国で実現する「罪の存在そのものからの救い(栄化)」です。そこでは、私たちはもはや罪を犯すことのない、完璧で栄光に満ちた新しい体をいただきます。

今を生きる私たちの闘い「聖化(キリストに似るプロセス)」

しかし、私たちが今生きているのは、この第一段階と第三段階の間にある、
第二の段階「『罪の力からの救い』すわなち『罪の惑わしからの救い』(聖化)」のプロセスです。 義と認められ、天の御国が約束されていても、地上にある私たちの内にはまだ「肉の弱さ(古い自分の性質)」が残っています。そのため、自分の力(自力)で人生をコントロールしようとして不安になったり、高慢になったり、誘惑に負けてつまずいてしまう現実があります。しかし、神様はこの「つまずき」を放置せず、日々の生活の中で私たちを少しずつ「イエス・キリストに似た者」へと成長(聖化)させてくださるのです。

つまずいた者を狙う「サタンの3つの訴え(告発)」

私たちが肉の弱さからつまずき、倒れ込んでしまったその瞬間、サタン(あるいは私たちの内なる肉の思い)は、すかさず私たちの耳元で恐ろしい「3つの告発」をささやきつまずきを与えます。そして、私たちを神の恵みから引き離そうとします。

告発1:「また同じ罪を犯したな(罪悪感による支配)」

最初の訴えは、過去の失敗を執拗に突きつける告発です。「お前はクリスチャンだと言いながら、また怒ってしまった。また不安になって自力に頼った。偽善者め」と、激しい罪悪感を植え付けます。この告発の狙いは、私たちが神の恵みにすがるのではなく、「次はもっと自分の力で頑張って、罪を償わなければ」と、再び「自力の罠」に引きずり込むことです。

告発2:「神はこんなお前を見捨てるはずだ(神の愛への疑い)」

第二の訴えは、神様のご性質そのものを疑わせる告発です。「あれほど恵みを受けたのに裏切ったのだから、神もとうとう愛想を尽かしたに違いない。お前はもう見捨てられたのだ」とささやきます。これは、神の愛が「私たちの立派な行い」に基づいていると錯覚させ、十字架の無条件の愛(恵み)を見えなくさせる最も悪辣な嘘です。

告発3:「お前にはもう成長する資格がない(絶望への誘惑)」

最後の訴えは、私たちの未来に対する絶望の宣告です。「何度やっても変わらない。お前は一生このままだ。聖化されてキリストに似るなんて、お前には絶対に無理だ」と、成長の希望を奪い取ります。この告発に飲み込まれると、私たちは神の主権を疑い、信仰の歩みそのものを放棄したくなってしまいます。

告発を完全に退ける「二つの力強い執りなし」

サタンの激しい訴えを前に、自力で立ち上がれる人間は一人もいません。私たちはただ「私は本当にみじめな人間です」と自己嫌悪に陥り、どのように祈ればいいのかすら分からなくなります。しかし、まさにその無力さのどん底で、二つの偉大な「執りなし」が私たちのために力強く働いているのです。

祈れない私たちを助ける聖霊の「うめきと執りなし」

ローマ人への手紙8章26節は、「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです」と約束しています。 サタンの告発に打ちのめされ、「主よ、ごめんなさい」という言葉すら出てこない時、あなたの内に住んでおられる聖霊が、あなたの代わりに父なる神の御心に完全に沿った祈りを捧げてくださっています。聖霊は、あなたが再び自分の王国を手放し、キリストの主権に全権を明け渡す「真の悔い改め」へと、優しく、しかし力強く導いてくださるのです。

右の座で弁護してくださるイエス様の「完了した恵み」

さらに、天の法廷では圧倒的な弁護がなされています。「だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。だれが、私たちを罪に定めるのですか。」(ローマ8:33-34)。 サタンがどれほどあなたを告発しようとも、神の右の座には、あなたの弁護士であるイエス・キリストが座っておられます。主はご自身の十字架の傷跡を示し、「父よ。この者が犯した罪の負債は、私がすべて支払い済みです。この者は私のものです」と、今この瞬間も執りなしてくださっています。私たちの救いと平安は、私たちの完全さではなく、この「キリストの完了した恵みと執りなし」によって100%保証されているのです。

つまずきすらも「最高の益」に変える父なる神の主権

最高の益とは「イエス・キリストの似姿」とされること

父なる神様は、聖霊と御子イエス様の完璧な執りなしを受けられ、私たちの「つまずき」を無駄に終わらせることはなさいません。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)。 この「最高の益」とは何でしょうか。それは続く29節にあるように、「私たちが御子の形と同じ姿(イエス・キリストの似姿)にあらかじめ定められた」ということです。

自力を手放し、三位一体の神の愛にすっぽりと安息する

神様は、私たちがつまずいて痛い思いをすることを通して、「自分には、自力で人生をコントロールする力など全くない」という真実に直面させます(霊的破産)。サタンはつまずきを使って私たちを絶望させようとしましたが、父なる神の絶対的な主権は、そのつまずきすらも逆手にとり、私たちが固く握りしめていた「自力のハンドル」を手放させるための『最高のレッスン』として用いてくださるのです。

私たちが自分の限界を知り、「主よ、私の全権をあなたにお返しします」と明け渡すたびに、私たちの内側の古い肉は削り落とされ、優しく、謙遜で、愛に満ちた「キリストの似姿(聖化)」が形造られていきます。

愛する皆さん。もし今日、あなたが肉の弱さからつまずき、サタンの告発に心が沈みそうになっているなら、どうか思い出してください。あなたは今、三位一体の神様の完璧な御手の中にすっぽりと包まれています。聖霊があなたのためにうめき、キリストがあなたのために弁護し、父なる神がそのすべてを益に変えて、あなたをキリストに似た者へと育てておられます。 転んでしまったその場所で、隠れようとしたり自力で立ち上がろうとしたりするのをやめましょう。「主よ、私は無力です。すべてをあなたにおゆだねします」と、再びあなたの全生活を真の王にお渡しし、この決して引き離されることのない絶対的な愛の中に、安心して憩う一日となりますように。

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