【聖書通読 第12週5日目】「あなたの中心に、主はおられますか? ―― 宿営の配置と心の向き」(民数記2章・ルカ20章)

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聖書通読 第12週5日目  「あなたの中心に、主はおられますか? ―― 宿営の配置と心の向き」(民数記2章・ルカ20章)

民数記2章の解説と神様が望まれていること

民数記2章では、イスラエルの民が幕屋を中心にして、東西南北それぞれの場所に部族ごとに整列して宿営するよう命じられています。
一見すると、「どの部族がどこに並ぶか」が細かく書かれているだけのように見えます。
けれども、ここにはとても大切な意味があります。

まず中心にあるのは幕屋です。
幕屋とは、神様がご自分の民の中に住まわれることを示す場所です。
つまりイスラエルは、自分たちの都合や好き勝手で並ぶのではなく、神様を真ん中にして生きる民として整えられていたのです。

これは、たとえるなら車の車輪の中心に軸があるようなものです。
軸がずれてしまうと、車輪全体がぐらぐらします。
同じように、人生の中心から神様が外れてしまうと、私たちの思いも生活も少しずつ乱れていきます。
反対に、神様が中心におられると、家族も仕事も奉仕も、人間関係も、少しずつ整えられていきます。

また、それぞれの部族には、それぞれの場所が与えられていました。
それは、神様の民の中には一人ひとりに持ち場があるということでもあります。
「私は目立たないから意味がない」と思う必要はありません。
神様の民の中では、どの部族も必要であり、どの位置にも意味がありました。
私たちも同じで、神様は一人ひとりにふさわしい場所と役割を与えておられます。

神様が望まれていること

神様が望んでおられるのは、私たちが神様を人生の中心に置くことです。
自分の考え、感情、不安、予定を中心にするのではなく、「主よ、あなたのみこころは何でしょうか」と尋ねながら歩むことです。
そして、与えられた場所で忠実に生きることです。
派手でなくてもよいのです。
神様のそばにいて、神様の定められた場所に立ち、神様を中心として生きることを、主は喜ばれます。


ルカ20章の解説と神様が望まれていること

ルカ20章では、祭司長、律法学者たち、長老たちが、何とかしてイエス様を言い負かそう、つまずかせようとして次々と質問を投げかけます。
「あなたは何の権威でこういうことをするのか」
「皇帝に税を納めるべきか」
「復活はあるのか」
など、どれも一見まじめな質問のようですが、実際にはイエス様を信じたいからではなく、陥れたい心から出た問いでした。

ここでわかることは、人は同じ言葉を使っても、心の向きが違うということです。
本当に知りたい人は、へりくだって聞きます。
けれども、心を閉ざしている人は、答えを聞いても従おうとしません。

イエス様は、彼らの悪意を見抜きながらも、真理を語られました。
特に「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」という御言葉は有名です。
お金や社会の責任だけでなく、自分自身は神様のものとして神様にお返しするべきだという深い意味があります。
また、復活についても、神様は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であると語られました。
神様との関係は、この世だけで終わるものではないのです。

さらに後半では、宗教指導者たちの見せかけの敬虔さも戒められています。
外側では立派に見えても、心が神様から離れているなら、それは本物ではありません。

神様が望まれていること

神様が望んでおられるのは、

私たちが表面だけでなく、心から主に向くことです。
質問するなら、言い負かすためではなく、従うために聞くことです。
礼拝するなら、人に良く見られるためではなく、神様を愛して礼拝することです。
そして、

自分の時間、

心、

人生そのものを「神様のもの」としてお返しすることです。
主は、かたちだけの信仰ではなく、真実な心を喜ばれます。

※時間がある時に・・・ルカの福音書20章⇩

 

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