【第38週 ホッとひと休み】「自力のハンドル」から手を離し、変わらないキリストの胸でくつろぐ週末

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【第38週 ホッとひと休み】「自力のハンドル」から手を離し、変わらないキリストの胸でくつろぐ週末

今週も一週間、本当にお疲れ様でした。
旧約と新約を行き来する豊かな聖書通読第38週目を、無事に歩み終えられたこと、本当に素晴らしいですね。今日は週末の「ホッとひと休み」の日です。温かいコーヒーや香り高いお茶でも淹れて、どうぞお気に入りの椅子に深く腰掛けてください。毎日、「あれもしなければ、これもしなければ」と一生懸命に動き続けてきた心と体を、今日だけはゆったりと休ませ、神様の圧倒的な恵みの毛布にすっぽりと包まれる時間にしましょう。
今週私たちが聖書から受け取ったメッセージは、私たちが無意識のうちに握りしめてしまう「自力のハンドル」から静かに手を離し、すでにイエス様の十字架と復活の福音によって完成している「100%の恵み」に信仰によって寄りかかって生きるための、美しく力強い招きでした。

「自分でドアをこじ開ける」という重荷を下ろす

旧約聖書で私たちが目撃したのは、神様の約束を信じて徹底的に「待つ」ダビデの姿でした。サウル王が死に、長年の政敵が消え、ついに自分が全イスラエルの王になるチャンスが目の前にぶら下がった時でさえ、ダビデは部下たちのように「人間の小賢しい知恵や暴力で、手っ取り早くドアをこじ開ける」ようなマネはしませんでした。神様の青信号が点灯するまで、ヘブロンの地でじっと待ったのです。
さらに、神の箱をエルサレムに迎える時には、王としての威厳や「人からどう見られるか」という見栄の鎧を脱ぎ捨てて、ただひとりの神様から愛されていることをただ喜ぶ子どもとして、力いっぱい無邪気に喜び踊りました。「私が神様のために立派な神殿を建ててあげよう」という、彼なりの信仰の恩返し(自力)でさえも、神様は「違う。わたしがあなたのために永遠の家を建てるのだ」と、ダビデの想像をはるかに超える圧倒的な恵みで優しく包み込んでくださいました。
私たちはどうでしょうか。毎日を過ごす中で、「自分の力で問題を解決しなければ」「人から評価される立派なクリスチャンでいなければ」と、人生の重いトランクを背負い込んだまま、焦って走ってはいないでしょうか。今週のダビデの姿は、「もう、あなたが自分で窓ガラスを割って強引にドアをこじ開けなくてもいいんですよ」「自分を大きく見せるための重い鎧は、ここで下ろしていいんですよ」という、天のお父様からの深い慰めの声です。

「きのうもきょうも、いつまでも同じ」絶対的な安息所

新約聖書では、ヘブル人への手紙とヤコブの手紙を通して、私たちが自力を手放して良い「絶対的な根拠」が語られました。
著者は力強く宣言します。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」
私たちの感情や信仰の熱心さは、お天気のようにコロコロと変わります。御言葉に感動して心が燃える「きのう」もあれば、現実の壁にぶつかって「やっぱり自分はダメだ」と落ち込む「きょう」もあります。もし私たちの救いが、自分自身の「立派な行い(自力の履歴書)」にかかっているなら、私たちは一生、不安という波に揺れ続けなければなりません。
しかし、あなたを愛し、十字架でご自身の命という最高の代価を支払って「100%の救い」を完成させてくださったイエス様は、1ミリも揺るぐことがありません。永遠の大祭司であるキリストは、あなたがどんなに失敗して落ち込んでいる時でも、「この人は私が完全に買い取った、大切な私の子どもです」と取りなしをしてくださる方です。謗って天の王座で身元保証人として立ち続けてくださっているのです。

握りしめた拳を開き、「生きた湧き水」で満たされる

ヤコブの手紙が教えてくれたように、私たちは不安になると、つい「裁きの木槌」を振り回して自分の正しさを主張したり、「ああしよう、こうしよう」と自分の計画のハンドルを強く握りしめてしまいます。それは、自力という手動のポンプを必死に漕いで、自分の乾いた心になんとか水を送ろうとする苦行のようなものです。
試練や悩みは、私たちが固く握りしめた「自力の拳」を優しく開かせるための神様からの招待状です。「神様、私には自分の舌すらコントロールできません」「明日の予定すら、私の力ではどうにもなりません」と白旗を揚げて両手を開く時、その空っぽの手の中に、上からの知恵と変わらない愛と恵みがなみなみと注ぎ込まれます。そして神さまの恵みに安らぐ(座って)のです。
しかし、ただ神さまの恵みを受け取り安らぐということは、そのあふれる恵みに対してぐうたらになることではありません。私たちは、その恵みの上にあぐらをかいて何もしないのではありません。何もできないものであることを受け入れて、神さまの愛と恵みに安らぐ(座って)時、立つ意志と力が与えられ、神さまの栄光のために歩む目的と神様を喜ばせたいという思いから、「生きた行い(湧き水)」となって流れ出してくるのです。
この週末、あなたが心に抱え込んでいる「来週の心配事」や「自分を責める告発の声」があるなら、すべてキリストの十字架の足元に下ろしてしまいましょう。人生の運転席から降りて、神様という完璧な運転手にすべてをお任せし、あなたは助手席でゆったりと外の景色を楽しんでください。
「もう、自力で頑張らなくていい」「100%完成した恵みの中で、ただくつろい’(座って)でから立って歩めばいい」。
この絶対的な安心感の中で、あなたの疲れ果てた心がたっぷりと癒やされ、湧き上がる喜びの泉で満たされる素晴らしい週末となりますように。

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