
以下に、聖書通読第44週の週の最後を締めくくる、心がじんわりと温かくなるようなメッセージをお届けします。
この記事の目次
【ホッと一休み】「降ろした荷物は、神様が背負ってくださる」:倒れ込んだ荒野で出会う、三位一体の神様の愛
今週も、同じみことばを共に開き、深く味わう素晴らしい通読の旅路を歩むことができました。心から神様に感謝いたします。第44週という、少し骨のある歴史や厳しい幻が続いた一週間を駆け抜けたあなたの心と体に、今、神様の優しい休息の風が吹き抜けますように。温かいお茶でも飲みながら、少しの間、肩の力を抜いてこのお話に耳を傾けてみてください。
1.「おんぶ」をせがむ子どものように
あるお父さんが、幼い娘を連れて夕暮れの公園から帰路についていました。 たくさん歩いて疲れ果ててしまった娘は、ついにその場に座り込んで「もう一歩も歩けない」と泣き出してしまいました。彼女の手には、お気に入りの小さなおもちゃ(彼女にとっての宝物)がぎゅっと握りしめられています。
お父さんは優しく微笑み、「おんぶしてあげるから、おいで」と背中を向けました。娘はお父さんの首にしがみつき、おんぶをしてもらいます。 しばらく歩いていると、お父さんはふと気がつきました。娘は自分がおんぶされているのに、手にあるおもちゃを落とさないように、またお父さんに迷惑をかけないようにと、小さな体をこわばらせて、お父さんの背中の上で必死に「自分の力」で踏ん張っていたのです。
それを見たお父さんは、おんぶを少し揺らしながら笑って言いました。 「〇〇ちゃん、力が入っているよ。力を抜いて、お父さんに全部あずけちゃっていいんだよ。おもちゃも、お父さんのポケットにしまっておこうね。お前が力を入れていてもいなくても、お父さんはちゃんとお前を家まで連れて帰るからね」
娘はホッとして、体からすっかり力を抜き、お父さんの広い背中に顔をうずめました。おもちゃもお父さんのポケットに預け、あとはただ、揺られながら安心の中で眠りに落ちていきました。
2.「これくらいなら、自分で」という小さな握りしめ
私たちはこの幼い娘のように、神様という偉大なお父様におんぶされ、その恵みの中に生きているはずなのに、どこかで「おんぶされている背中の上で、必死に踏ん張る」ような生き方をしてはいないでしょうか。
今週の通読で、アサ王が「高き所(自分のやり方)」を残してしまったり、アハブ王が自分の判断で敵の王を生かしてしまったりした姿を見ました。 私たちは、「基本的に神様を信じてお任せしている」と言いながらも、心のどこかで「でも、この仕事のプレッシャーは自分が踏ん張らなきゃ」「この将来への不安は、自分でなんとか頑張って備えなきゃ」とか、小さな「自力のおもちゃ」を握りしめ、背中の上で肩に力を入れ、疲れ果ててしまいます。
サタンは、そんな私たちの肩の力みを見逃さず、「お前はまた同じところでつまずいた」「信仰が足りないから不安になるのだ」と、自己嫌悪に陥るように告発を投げかけてきます。しかし、自分で自分をコントロールしようとする手を緩めない限り、私たちはこの「自分で歩く疲労」から解放されることはありません。
3.えにしだの木の下で、神様が用意されたテーブル
今週、私たちは預言者エリヤが荒野の「えにしだの木」の下で、「主よ、もう十分です。私の命を取ってください」と倒れ込んだ姿(列王記第一 19章)を見つめました。 彼は、自分の力で戦い、自分の力で神様の国を守ろうとして、限界(自力の底)に達してしまったのです。
その時、天のお父様はどうされたでしょうか。 「なぜもっと頑張らないのか」「信仰が足りないぞ」と叱責されたでしょうか。いいえ、全く違います。 神様は、疲れ果てて眠るエリヤの横に、そっと「一本の水差し」と「炭火で焼いた温かいパン」を置かれました(19:6)。そして、御使い(天使)を通して、彼の体を優しくなでながら「起きて食べなさい。旅はあなたには長すぎるから」(7節)と語りかけられたのです。
神様は、エリヤの「自力の限界(つまずき)」をすべて知っておられました。だからこそ、彼が自分で立ち上がることを求めるのではなく、神様ご自身が彼のすべての荷物を引き受け、静かな愛のディナーを用意してくださいました。 私たちが「もう歩けない」と倒れ込む場所、そこは神様の圧倒的な恵みが、私たちの代わりにすべての責任を引き受けてくださる「安息の場所」となるのです。
4.三位一体の神様が「完了」してくださる週末
愛する皆さん。もしあなたが今、何かの重荷や、日々のつまずき、そして「もっと頑張らなければ」という焦りで疲れ果てているなら、そのすべての「自力のおもちゃ」を、天のお父様のポケットに預けてしまいましょう。
あなたの名前は、すでに「小羊のいのちの書」に刻まれています(黙示録13:8)。 あなたの「罪の裁きからの救い(過去)」も、「天の御国での栄化(未来)」も、そして日々のつまずきからキリストの似姿へと成長させられる「聖化(現在)」すらも、あなたが踏ん張って成し遂げるものではありません。 聖霊なる神様が言葉にならないうめきであなたのために祈り、イエス様が天の右の座であなたを完全に執り成しをし弁護してくださっています。そして、父なる神様がすべてのことを働かせてあなたをキリストに似たものとするために日々働いてくださっています。
この週末、父なる神様の背中の上でぎゅっと入れていた力を、フッと抜いてみてください。 「神様、私は今週も、自分でなんとかしようと力んでいました。私の全存在を、すべてあなたにお委ねします。ただあなたを私の主として王として崇めます。あとはよろしくお願いいたします」と。
神様は、あなたがどれほど弱く、どれほど不完全であっても、その腕を緩めることはありません。あなたが転んでしまったとしても、その場所はすでに「神様の手の中」です。 どうぞ、備えられた「炭火のパンと水(みことばと恵み)」を豊かに受け取り、この週末は何も思い煩うことなく、安心して天の父なる神様の愛のふところで、ホッと一休みしてください。主の深い平安が、あなたの心と体を優しく満たしてくださいますように。

