十字架の上で語られた愛――イエス・キリストの7つの言葉
十字架の上で語られた愛――イエス・キリストの7つの言葉

この記事の目次

中心聖句

ルカ23章34節、43節、46節
マタイ27章46節
ヨハネ19章26-27節、28節、30節

導入

愛する皆さま。
イエス・キリストの十字架は、キリスト教の中心です。
しかし私たちは、十字架を何度も聞くうちに、どこかで慣れてしまうことがあります。
けれども十字架は、ただ「イエス様が苦しんで死なれた」という出来事ではありません。
十字架は、主がその上で何を語られたかを見るとき、さらに深くその意味が見えてきます。
普通、人は激しい苦しみの中では、その人の本音が出ます。
余裕がなくなった時、その人の中にあるものが外にあふれ出ます。
十字架という極限の中で、イエス様の口から出てきたのは何だったでしょうか。
怒りでしょうか。
呪いでしょうか。
恨みでしょうか。
いいえ、そこにあったのは、赦し、救い、愛、苦しみ、成就、信頼でした。
今日は、十字架上の7つの言葉を通して、
主イエスがどれほど深く私たちを愛し、どれほど完全な救いを成し遂げてくださったのかを見てまいりましょう。

展開1  十字架は赦しの場である

主はまずこう言われました。
「父よ、彼らをお赦しください。」
自分を十字架につける者たちのために、赦しを祈られたのです。
これが主イエスです。
主は敵を滅ぼすためではなく、敵を救うために来られました。
私たちは自分を傷つける人を赦すことが難しい者です。
口では赦したいと思っても、心の中では何度も思い出してしまいます。
しかし主は、釘を打たれながら赦しを祈られました。
ここに福音があります。
私たちは赦される価値があるから赦されたのではありません。
主が赦しを願ってくださったから、赦しの道が開かれたのです。

展開2  十字架は救いの場である

次に主は、悔い改めた犯罪人にこう言われました。
「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる。」
これは驚くべき救いの宣言です。
その人はもう何もできません。
善い行いを積み重ねる時間もありません。
ただ十字架の主を見上げるだけです。
しかし、それで十分でした。
ここからわかるのは、救いは努力の結果ではなく、恵みの賜物だということです。
私たちも、自分の義ではなく、主の十字架にすがるしかありません。
そして、それでよいのです。
主は、主を求める者を退けられません。
「もう遅い」と思っている人がいるなら、遅くありません。
「私はこんな者だから」と思っている人がいるなら、そのまま主のもとに来てよいのです。
十字架の主は、罪人に救いを宣言してくださるお方です。

展開3  十字架は愛が最後まで尽きない場である

主は母マリアと弟子ヨハネに向かって語られました。
「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。」
「ご覧なさい。あなたの母です。」
十字架の苦しみの中でも、主は人を顧みておられます。
主の愛は、苦しみで消えることがありません。
むしろ、極限の中でなお、その愛の深さが現れています。
私たちは苦しむと、自分のことでいっぱいになります。
しかし主は違いました。
十字架のただ中でなお、愛しておられるのです。
ここに慰めがあります。
あなたが苦しみの中にある時でも、主の愛は止まっていません。
見えなくても、感じられなくても、主はなお顧みておられます。

展開4  十字架は身代わりの苦しみの場である

主はさらに叫ばれました。
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
この叫びは、主が私たちの罪を負われたことの深さを示しています。
本来、神に見捨てられるべきは私たちです。
神に背き、自分中心に生き、神を神としない罪人である私たちです。
けれども、その場所に主が立たれました。
だから私たちは、見捨てられずにすむのです。
主が見捨てられた者の場所に立ってくださったからです。
ここに十字架の中心があります。
十字架は、単なる愛の模範ではありません。
罪の身代わりの出来事です。

展開5  十字架は完成の場である

主は「わたしは渇く」と言われました。
主はまことに人となって苦しまれました。
そして最後に、こう宣言されました。
「成し遂げられた。」
これは、救いが完成したという言葉です。
罪の代価は支払われ、神の義は満たされ、救いの道が開かれました。
私たちは、この言葉の上に立つことができます。
自分の頑張りではなく、主の完成した御業に信頼して生きるのです。
救いは未完成ではありません。
主が成し遂げてくださいました。

展開6  十字架は父への信頼の場である

最後に主はこう言われました。
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
最初も「父よ」、最後も「父よ」です。
主は十字架の始まりから終わりまで、父なる神への信頼の中におられました。
苦しみのただ中でも、父を父としておられたのです。
そして主は、その従順によって救いを成し遂げられました。
私たちはこの主によって支えられています。
だから私たちも言うことができます。
「主よ、私の人生をあなたにゆだねます」と。

適用

では、この7つの言葉は私たちに何を語るのでしょうか。
第一に、あなたの罪は赦されるということです。
どんな過去があっても、主の赦しは届きます。
第二に、救いは恵みで与えられるということです。
自分を整えてからではなく、今のまま主にすがってよいのです。
第三に、主の愛は苦しみの中でも変わらないということです。
あなたが孤独の中にあっても、主はあなたを見捨てておられません。
第四に、十字架はあなたの身代わりの出来事だということです。
主はあなたのために、その苦しみを引き受けられました。
第五に、救いはもう成し遂げられているということです。
だから自分の功績ではなく、主の御業に安んじてよいのです。
第六に、私たちも人生を父なる神にゆだねて歩めるということです。
今日も、明日も、死の時も、主にゆだねてよいのです。

結び

十字架の7つの言葉は、ただ歴史の中に残された最後の言葉ではありません。
今も私たちに語りかける、救い主の生きた御声です。
その御声は言います。
「赦しはある。」
「救いはある。」
「愛は尽きない。」
「あなたのために成し遂げられた。」
「わたしにゆだねなさい。」
どうか今日、十字架を遠くから眺めるだけで終わらないでください。
この十字架の主を、あなたの救い主として見上げてください。
主は今も、罪人を招いておられます。

祈り

天の父なる神様。
御子イエス・キリストが十字架の上で語られた7つの言葉を通して、
あなたの愛と恵みの深さを見せてくださり、ありがとうございます。
私たちは赦されるに値しない者です。
自分中心で、かたくなで、あなたに逆らう思いを持つ者です。
それでも主イエスが、
「父よ、彼らをお赦しください」と祈ってくださったことを感謝いたします。
また、悔い改めた犯罪人に救いを約束されたように、
私たちにも恵みによる救いを与えてくださることを感謝いたします。
主よ。
十字架の意味を、ただ頭で知るだけでなく、心の深いところで受け取らせてください。
主が私のために苦しまれ、私のために成し遂げられ、
私のためにご自身をささげてくださったことを、
今日あらためて信じ、受け入れることができますように。
苦しみの中にいる者には慰めを与えてください。
罪責感に押しつぶされそうな者には赦しの確信を与えてください。
迷っている者には、十字架の主を見上げる信仰を与えてください。
私たちもまた、
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と、
主に信頼して歩む者とならせてください。
私たちの救い主、
主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。
アーメン。

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