私たちの計画と、神様の「マスタープラン(完璧な計画)」の違いとは?

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私たちの計画と、神様の「マスタープラン(完璧な計画)」の違い

私たちは皆、自分の人生のスケジュール帳を持ち、「いつまでにこれを達成しよう」「明日はこの仕事を終わらせよう」と計画を立てます。先の見えない不安をなくし、自分の人生をコントロールしたいと願うからです。

緻密な「ケアプラン」とその限界

私は以前、ケアマネージャーとして高齢者や障碍者の方々のためにいろいろなエキスパートの方々とチームを組んで、利用者の方の為に一番最適なケアプランや支援の計画を練り上げてきました。例えば、日々の生活の中で、心や生活に困難を抱える人をサポートするため、いろいろな支援の計画を練り上げることを行ってきました。相手の幸せと回復を願い、最善のルートを計算して計画を立てます。しかし、現場では突然のトラブルが起きたり、相手の状況が急変したりして、どんなに完璧な計画もその通りに進まないことが多々あります。
私たちの人生もこれと同じです。私たちが立てる計画は「現在の自分の視点」という非常に限られた情報に基づいています。しかし、神様のマスタープランは、過去・現在・未来のすべてを見通した「永遠の視点」から描かれています。

織物(タペストリー)の裏側

有名な例え話に「タペストリー(織物)」があります。私たちが今見ている自分の人生は、美しいタペストリーの「裏側」です。糸が複雑に絡み合い、結び目だらけで、時には黒や灰色といった暗い色の糸(悲しみや試練、計画の頓挫)ばかりが続いているように見えます。「神様、こんなぐちゃぐちゃな計画は間違っています!」と不満を言いたくなります。
しかし、神様はタペストリー(織物)の「表側」を見ておられます。神様の目には、その絡み合った結び目も、暗い色の糸も、美しいキリストの姿を描き出すための「完璧な陰影とグラデーション」となっているのです。

わたしに対する「神様の計画」とは一体何か?

「神様の計画」と聞くと、私たちはつい「どこに住むべきか」「どんな大きな仕事(ライフワーク)を与えられるのか」といった外側の事柄を考えがちです。

「何をするか」ではなく「どのような者になるか」

しかし、神様が最も関心を持っておられるのは、私たちが「何をするか(Do)」ではなく、「どのような者になるか(Be)」です。
聖書(ローマ人への手紙 8:29)には、神様の目的が**「御子の姿(キリストの似姿)に似たものとすること」**だと記されています。つまり、神様があなたに対して持っておられる最大の計画とは、あなたを「愛にあふれ、赦しを知り、人々に優しく仕える、キリストのような性質を持つ者」へと成長させることです。
人生の予期せぬ試練、対人援助の中で感じる無力さ、愛する人との対話。神様はこれらすべての日常を「あなたを磨くためのヤスリ」として用い、あなたの人格を通して、神様の栄光(キリストの美しい性質)を世に表そうと計画しておられるのです。

どのように神様の計画に従って歩めばいいのか?

では、神様のマスタープランの全体像が見えない中で、私たちはどのように毎日の歩みを進めればよいのでしょうか。

1. 地図(マップ)を捨てて、ガイド(案内人)の手を握る

私たちは見知らぬ場所へ行くとき、現在地から目的地までのすべてのルートが分かる「地図(マップ)」を欲しがります。「神様、5年後どうなるか地図を見せてください。そうすれば安心できるので従います」と祈ります。
しかし、神様は私たちに地図をくれません。代わりに**「ガイド(聖霊様)」**を与えてくださいました。暗い森の中を歩く子どもは、森の全体図を持っていなくても、すぐ隣にいる父親の手をしっかりと握っていれば絶対に迷子になりません。私たちがすべきことは、未来のルートを予測することではなく、今日一日、今この瞬間に、ガイドである神様の手をみことばと祈りを通してギュッと握りしめることなのです。

2. 今、目の前にいる人に「キリストの愛」を注ぐ

神様の計画に従うということは、山ごもりをして特別な啓示を待つことではありません。神様の計画は、「今日の日常」の中にすでに用意されています。
助けを必要としている人の声に丁寧に耳を傾けること。パートナーと共に誠実に日々の務めを果たすこと。オンラインの文章を通して、顔の見えない誰かを励ます言葉を紡ぎ出すこと。 自分の目の前に置かれた「小さなこと」に、キリストの愛をもって忠実に取り組む時、あなたはすでに神様の計画のど真ん中を歩んでいます。神様は、その小さな愛の行動の一歩一歩を繋ぎ合わせて、私たちが自分の計画では到底辿り着けなかったような、壮大で豊かな道へと導いてくださいます。

結び:白紙の小切手にサインをする

神様の計画に従う歩みとは、神様に「白紙の小切手」を渡すようなものです。金額(自分の理想の計画)を自分で書き込んで「神様、ここにサイン(承認)してください」と祈るのではなく、一番下に自分の名前だけをサインして、**「神様、あなたが好きなように計画を書き込んでください。私はそれに従います」**とお委ねするのです。
自分が強く握りしめていた「計画のペン」を神様にお渡しした時、そこから始まるのは、絶望ではなく、絶対的な安心と喜びに満ちた神様との共同作業です。
今、あなたが自分の手で強く握りしめている「自分の計画」や「理想のシナリオ」の中で、今日、神様の祭壇にそっと手放せそうなものは何でしょうか?

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