聖書通読【第43週 1日目】神様の「もし」と、聖徒の祈り(列王記 第一 9章 / ヨハネの黙示録 8章)

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聖書通読【第43週 1日目】神様の「もし」と、聖徒の祈り(列王記 第一 9章 / ヨハネの黙示録 8章)

① 神様が、もう一度会いに来られた

神殿と宮殿が完成したとき、神様はソロモンに二度目に現れました(1列王9:2)。一度目は、ソロモンが若い王になったばかりのギブオンの夜でした(3章)。

神様はまず、うれしいことを言われました。「わたしはこの宮を聖別し、わたしの名をとこしえにそこに置く。わたしの目と心は、いつもそこにある」(9:3)。

人間が建てた建物に、天地を造られた神様が「わたしの心はここにある」と言ってくださる。これは、ソロモンががんばったごほうびではありません。神様のほうから近づいてくださった、恵みなのです。

② 神様の「もし」

けれども、神様は続けてこう言われました。

「もしあなたが、父ダビデのように正しい心で歩むなら、王座はいつまでも続く」(9:4〜5)。
「もしあなたがたがわたしに背を向け、ほかの神々に仕えるなら、この宮もわたしの前から投げ捨てる」(9:6〜7)。

たとえば、どんなに豪華な結婚式場で式をあげても、その後に夫婦の心が離れてしまったら、その結婚は幸せでしょうか。大切なのは式場の立派さではなく、二人の心が結ばれ続けることですね。

神殿も同じです。金でかざられた建物があっても、心が神様から離れたら、それはただの「抜けがら」になってしまいます。

実際、この警告はおよそ400年後に現実となりました。イスラエルは偶像に心を向け続け、ついにバビロンによって神殿は焼かれてしまったのです。神様の「もし」は、おどしではなく、愛する子への真剣な語りかけでした。

③ 小さなほころび

9章の後半には、ソロモンの富と力がえがかれています。オフィルから金420タラントを運ぶ船団までありました(9:28)。

一方で、友だちのツロの王ヒラムに町を20もあげたのに、ヒラムは気に入らず、「カブルの地(つまらない地)」と呼びました(9:13)。豊かさの中に、心のすれちがいが見え始めています。

④ 私たちには守れない「もし」を、守ってくださった方

ここで真剣に考えてみましょう。私たちは、神様の「もし」を完全に守れるでしょうか。

答えは「いいえ」です。ソロモンでさえ、守れませんでした。だからこそ、イエス様が来てくださいました。

イエス様は、神様の「もし」を一度も破らず、完全に守り通されました。そして、守れない私たちの罪を十字架で引き受けてくださったのです。聖書が何度も何度も語るように、救いは私たちの行いではなく、ただキリストの恵みによります。

そしてこの恵みを受けた人は、今度は「守らなければ」ではなく、「お従いしたい」という心で歩み始めます。

これが、悔い改めから生まれる、本物の『行い』なのです。

⑤ 天が静まりかえった、半時間

黙示録8章では、小羊が第七の封印を解きます。すると、天はおよそ半時間、しんと静まりかえりました(8:1)。

オーケストラの演奏会を思い浮かべてください。指揮者がタクトを上げた瞬間、会場は息をのむように静かになりますね。大切なことが始まる前の、おごそかな静けさです。天の静けさも、これから起こる大きな出来事への備えでした。

⑥ 聖徒の祈りは、香となって

そこへ、一人の御使いが金の香炉を持って祭壇のそばに立ちます。たくさんの香が、すべての聖徒の祈りに加えられ、神様の前に立ちのぼりました(8:3〜4)。

ここに、すばらしい慰めがあります。私たちが涙ながらにささげた祈り、言葉にならなかったため息のような祈り。そのどれ一つも、消えてなくなってはいないのです。

お母さんが、子どもの描いた絵や手紙を、何十年も大切に箱にしまっておくことがありますね。神様は、それよりもっと大切に、私たちの祈りを受け取ってくださっています。

19世紀のイギリスで孤児院を営んだジョージ・ミュラーは、5人の友人の救いのために、何十年も祈り続けたと伝えられています。最後の一人が信仰を持ったのは、ミュラーが天に召された後でした。祈りは、祈った人がいなくなっても、神様の前で生き続けるのです。

⑦ 祈りへの答えとしてのラッパ

その後、御使いは香炉に祭壇の火を満たし、地に投げつけました。そして七つのラッパのうち四つが吹かれ、地や海や川や天に災いが起こります(8:5〜12)。

これは、「主よ、いつまで正しいさばきを行われないのですか」という聖徒たちの祈り(6:10)への答えでもあります。

けれども、災いは「三分の一」にとどめられています。全部ではありません。ここにも、「今のうちに悔い改めて帰っておいで」という、神様のあわれみが見えるのです。


今日の神様からの励まし

神様の「もし」を守れない私たちのために、イエス様がすべてを守ってくださいました。だから、安心して神様のもとに帰ることができます。

そして、あなたの祈りは一つも忘れられていません。答えがまだ見えなくても、今日も祈り続けましょう。

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