信仰の勇者のように見えるパウロも、最初からそうではなかった イエス様との出会いがパウロを変えた

この記事の目次

信仰の勇者のように見えるパウロも、最初からそうではなかった

イエス様との出会いが「あなた」を変える

パウロという名前を聞くと、多くの人はこう感じるかもしれません。

「すごい人だ。」
「自分とはまったく違う。」
「高嶺の花以上の存在だ。」

たしかにパウロは、聖書の中でも特に大きな働きをした人物です。
多くの手紙を書き、福音を広く伝え、苦しみの中でも主に従い続けました。
けれど大切なのは、パウロは最初からそういう人だったのではないということです。

むしろ彼は、イエス様に出会う前と後で、驚くほど変えられた人でした。
だからパウロを見る時、ただ「すごい人だ」と思って終わるのではなく、こんな人をここまで変えられたイエス様の恵みは、私たちにも及ぶのだという希望を受け取りたいのです。

パウロはイエス様に出会う前、どのような人だったのか

宗教的にはとても立派で、熱心な人だった

パウロは、もともとは「サウロ」と呼ばれていました。
彼はだらしない人でも、信仰に無関心な人でもありませんでした。
むしろ、とてもまじめで、頭が良く、宗教的に熱心な人でした。

彼は厳格なユダヤ教の教育を受けた、いわば宗教エリートでした。
律法に熱心で、自分でも「非難されるところのない者」と言えるほど、自信を持って生きていました。

人から見れば、
「立派な人」
「神様に仕えている人」
「まじめで正しい人」
と見えたでしょう。

でも問題は、イエス様を知らなかったことです。

自分は正しいと思いながら、実は神様に逆らっていた

サウロは、自分では神様に仕えていると思っていました。
けれど実際には、神様が遣わされた救い主イエス・キリストを拒んでいました。

それどころか、イエス様を信じる人たちを激しく迫害していました。
教会を荒らし、人々を捕らえ、牢に入れていたのです。
ステパノが石打ちにされた時にも、それをよしとしていました。

ここからわかるのは、熱心であることと、神様を正しく知っていることは同じではないということです。
まじめであること、宗教的であること、それ自体は大切です。
でも、イエス様を知らないままでは、神様から離れたままでいることがあるのです。

間違った方向に、全力で走っていた

サウロは、なまぬるい人ではありませんでした。
問題は、熱心さの方向が間違っていたことです。

たとえるなら、車のアクセルを強く踏んでいても、進む方向が間違っていれば、目的地からどんどん離れていくのと同じです。

サウロは、自分は正しいと思いながら、実は神様の救いのご計画に逆らっていたのです。

イエス様との出会いが、パウロをどう変えたのか

ダマスコ途上で、復活の主に出会った

そんなサウロが大きく変えられたのが、ダマスコへ向かう途中でした。
彼はなおもクリスチャンを捕らえるために向かっていました。
その時、天からの強い光が彼を照らし、彼は地に倒れました。

そして声がしました。

「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」

サウロが
「主よ、あなたはどなたですか。」
と尋ねると、

「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
という答えが返ってきました。

ここでサウロは、自分が正しいと思っていた道が間違っていたこと、自分が迫害していた相手が、栄光の主イエス様ご自身だったことを知ったのです。

自信に満ちた人が、砕かれた

この出会いによって、サウロの誇りは砕かれました。
「自分は正しい」
「自分は神様に仕えている」
と思っていたその土台が崩れたのです。

本当にイエス様に出会う時、人はただ気分がよくなるのではありません。
まず、自分の罪、自分の思い上がり、自分の限界が明らかにされます。

パウロの変化は、「もっと立派になった」ことから始まったのではありません。
砕かれたことから始まったのです。

迫害者が、福音を伝える人に変えられた

サウロはその後、アナニヤによって導かれ、祈られ、目が開かれ、バプテスマを受けます。
そして驚くべきことに、今度はイエス様こそ神の子であると宣べ伝える人になったのです。

今まで壊そうとしていた教会のために生きるようになった。
今まで憎んでいたイエス様を、今度は命をかけて伝えるようになった。
これが、主の恵みの力です。

パウロは「強い人」になったのではなく、「恵みに生かされる人」になった

「神の恵みによって、私は今の私になりました」

パウロの変化は、単に性格が良くなったということではありません。
彼は、自分の力に頼る人から、神の恵みに頼る人へ変えられたのです。

以前の彼は、
「自分は正しい」
「自分の熱心さで進む」
という人でした。

けれど変えられた後のパウロは、
「私は罪人のかしらです」
「神の恵みによって、私は今の私になりました」
と語る人になります。

ここが大切です。

パウロは、「自分がすごいから今の自分がある」とは言いませんでした。
すべては神の恵みだと言ったのです。

苦しみの中でも、主に従い続けた

パウロはイエス様に出会ってから、何もかも楽になったわけではありません。
むしろその後、迫害され、打たれ、投獄され、誤解され、苦しみを通りました。

それでも彼は、主から離れませんでした。
なぜなら、イエス様はただの教えではなく、本当に出会った生ける主だったからです。

だから彼は、苦しみの中でも主を見上げ続けたのです。
そして自分の強さを誇ってもいいパウロが、もし誇る必要があるなら、『私は自分の弱さを誇ります。なぜなら神様の恵みはわたしの弱さのうちに完全にあらわされるからです。』と。

このパウロの歩みから、私たちは何を学ぶのか

最初から立派な人でなくても、主は変えてくださる

パウロを見ると、「自分とは違いすぎる」と思うかもしれません。
でも聖書は、彼は最初から聖人のような人だったのではなく、キリストに出会って変えられた人だと教えています。

だから私たちも、今の自分を見て諦める必要はありません。
過去がどうであっても、間違った方向に進んできたとしても、主は変えることがおできになります。

パウロのすごさより、パウロを変えた主の大きさを見る

私たちが見るべきなのは、パウロの立派さだけではありません。
それ以上に、パウロをここまで変えられたイエス様の恵みの大きさです。

迫害者を宣教者に変えることのできる主。
誇り高い人をへりくだった人に変えることのできる主。
自分の力に頼る人を、恵みに生きる人へ変えることのできる主。

その主は、今も生きておられます。

まとめ

イエス様との出会いが、人を新しくする

パウロは、イエス様に出会う前は、宗教的には立派でも、キリストを知らず、教会を迫害していた人でした。
しかしダマスコ途上で復活の主に出会い、彼の人生は大きく変えられました。

迫害者が、福音宣教者へ。
誇る人が、恵みに生きる人へ。
自分の力に頼る人が、キリストに頼る人へ。

これが、イエス様のなさることです。

ですから、パウロを見て「自分とは違う」と思うだけで終わらないでください。
むしろこう受け取りたいのです。

あのパウロを変えた主は、今も人を変えることがおできになる。
そしてその恵みは、私たちにも向けられているのです。

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