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主があなたを祝福し、守られるように――民数記6章に見る神様のあたたかい恵み
民数記6章の後半には、とても有名で、とても美しい恵み深いあたたかい祝福の祈りがあります。
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれるように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられるように。」 民数記6章24~26節
この言葉を読むと、心があたたかくなります。
なぜなら、ここには神様のやさしい御心が、そのまま表れているからです。
民数記6章の祝福の祈りは神様の心を表している
神様は、ただ
「あれをしなさい」
「これを守りなさい」
と命じるだけのお方ではありません。
もちろん、神様は私たちに正しい道を示されます。
けれどその根っこには、冷たい命令ではなく、あたたかい愛があります。
まるで、子どもを送り出す親が、
「気をつけてね」
「守られるように」
「元気でいてね」
と願うように、
神様はご自分の民を見つめ、
祝福したい、
守りたい、
恵みたい、
平安を与えたい、
と願っておられるのです。
ここに、神様の心があります。
神様は遠くから腕組みして見ておられるお方ではありません。
ご自分の民を、深い愛をもって見つめてすぐそばで共におられるお方です。
「主があなたを祝福し、あなたを守られるように」の意味
最初に語られるのは、
祝福と守りです。
私たちは「祝福」と聞くと、
お金が増えること、
仕事がうまくいくこと、
病気がなくなること、
などを思い浮かべやすいかもしれません。
もちろん、そうしたことも神様の恵みの一つです。
けれど、聖書の祝福はそれよりもっと深いものです。
本当の祝福とは、
神様との関係の中で生かされることです。
主の御手の中に置かれ、
主の愛の中で守られながら歩むことです。
たとえるなら、嵐の中でも丈夫な家の中にいるようなものです。
外では風が吹き、雨が打ちつけていても、
家の中にいるなら守られています。
同じように、人生にさまざまな問題があっても、
主の中にいるなら、私たちは守りの中に置かれているのです。
しかも神様の守りは、私たちの目に見える範囲だけではありません。
私たちが気づかないところでも、
知らないところでも、
主は守っていてくださいます。
ですから「守られる」とは、
何も起こらないということだけではありません。
そうではなく、
何があっても主の手から離されない
ということです。
それこそ大きな恵みです。
「主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれるように」の意味
次に語られるのは、
御顔を照らすことと、
恵みです。
御顔が照らされるとは、
神様が遠くから見ているだけでなく、
近くにいてくださるということです。
しかも怒った顔ではなく、
恵み深い顔を向けてくださるのです。
たとえば、小さな子どもが不安そうにしている時、
親がやさしい顔で見つめると、その子は安心します。
言葉がなくても、
「大丈夫だよ」
「あなたを見ているよ」
という思いが伝わるからです。
神様の御顔が照らされるとは、それに似ています。
主は私たちを冷たく見ておられるのではありません。
恵みのまなざしで見ておられるのです。
そして「恵み」とは、
受けるに値しない者に注がれる愛です。
私たちはみな、弱さがあります。
失敗します。
心が揺れます。
神様の前に胸を張れない時もあります。
けれど神様は、
そんな私たちになお恵みを与えてくださいます。
それは、太陽の光が窓から差し込むようなものです。
部屋が暗くても、窓を開ければ光が入ってきます。
神様の恵みの光も同じです。
暗い心、
疲れた心、
傷ついた心の中に入ってきて、
少しずつ明るくしてくださるのです。
「主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられるように」の意味
最後に語られるのは、
御顔を向けることと、
平安です。
神様が御顔を向けてくださるとは、
私たちを無視しないということです。
忘れないということです。
背を向けるのではなく、
こちらを見ていてくださるということです。
人に見てもらえないこと、
心を向けてもらえないことは、つらいものです。
けれど神様は、
ご自分の民に御顔を向けてくださいます。
そして与えてくださるのは平安です。
この平安は、
問題が何もなくなることではありません。
悩みがゼロになることでもありません。
そうではなく、
問題の中でも心の深いところに与えられる神様からの落ち着き
です。
たとえるなら、船の上は揺れていても、深い海の底は静かであるようなものです。
表面は波立っていても、
深いところには静けさがあります。
神様が与えてくださる平安は、そのような深い平安です。
状況は変わらなくても、
主がともにおられるという確かさが、
心に静けさを与えてくれるのです。
この祝福の祈りが今日の私たちに語ること
この祝福の祈りは、昔のイスラエルの民だけのためではありません。
今日を生きる私たちにも、大きな慰めを与えてくれます。
不安な時、
「主は私を守ってくださる」と受け取ってよいのです。
弱っている時、
「主は私を恵んでくださる」と信じてよいのです。
落ち着かない時、
「主は私に平安を与えてくださる」と祈ってよいのです。
私たちは時々、
「こんな私が祝福を受けてよいのだろうか」
「私は失敗ばかりだから無理ではないか」
と思ってしまいます。
けれどこの祈りは、そんな私たちに向かって、
「主はあなたを祝福したいと願っておられる」
と語りかけています。
それは本当に大きな慰めです。
神様は、しぶしぶ祝福するお方ではありません。
本心では遠ざけたいのに、仕方なく受け入れるお方でもありません。
むしろ、祝福したい。
守りたい。
恵みたい。
平安を与えたい。
そう願っておられるお方なのです。
まとめ――神様はあなたを祝福したいと願っておられる
民数記6章の祝福の祈りは、
神様のあたたかい御心を教えてくれます。
主はあなたを祝福したい。
守りたい。
恵みたい。
平安を与えたい。
これが神様の思いです。
ですから、今日この御言葉を、自分への言葉として受け取りたいのです。
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれるように。
主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられるように。
この祝福の言葉を心にとどめて、
主の恵みの中を歩んでいきましょう。
不安な日にも。
疲れた日にも。
うまくいかない日にも。
涙がにじむ日にも。
主はあなたを見ておられます。
主はあなたに御顔を向けておられます。
主はあなたを守り、恵み、平安を与えようとしておられます。
今日もその祝福の中で、静かに、そして安心して主とともに歩んでいきたいとこころから願います。
