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【聖書通読 第24週3日目】新たな一歩を踏み出す勇気と、弱さを輝かせる十字架の力(ヨシュア1章第一コリント1章)
偉大な指導者モーセを失い、途方に暮れるヨシュアに対する神様の力強い励ましから「恐れずに未知へ進む勇気」を受け取ります。同時に、パウロが語る「十字架の言葉」を通して、自分の弱さや無力さこそが、神様の大きな力が働く最高の舞台であることを知る一日です。人間の強さではなく、神様の共にいます恵みに深く寄り頼みましょう。
ヨシュア記 1章 の解説
「強く、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記 1:9)
いよいよ約束の地カナンへと足を踏み入れる新時代の幕開けです。しかし、新リーダーに任命されたヨシュアの心は、決して希望だけで満ちていたわけではありませんでした。 カリスマ的な絶対的指導者であったモーセが死に、イスラエルの民は深い悲しみと不安の中にありました。「モーセがいなくて、これからどうやって生きていけばいいのか」。ヨシュア自身も、偉大すぎる前任者の靴を履く重圧に、膝がガクガクと震えていたはずです。目の前には氾濫するヨルダン川が立ちはだかり、その向こうには屈強な敵兵が待ち構えていました。
そんな彼に、神様は「立って、このヨルダン川を渡れ」と命じ、一つの決定的な約束を与えます。
「わたしはモーセとともに行動したように、あなたとともに行動する。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシュア記 1:5)
ある有名な劇団で、長年主役を務めてきた大看板の俳優が突然亡くなりました。急遽、代役として大舞台に立つことになった若い俳優は、プレッシャーで舞台袖でうずくまっていました。「僕にはあの人のようなオーラも演技力もない。観客を失望させてしまう」。 その時、劇団の総監督が彼の肩を抱いて言いました。「君が前の主役になる必要はない。この劇を作ったのは私だ。私が君のすぐそばで、君に合わせて完璧に光(スポットライト)を当てるから、ただ私を信じて、君のまま舞台に出なさい」。
神様がヨシュアに約束したのは、「お前をモーセのように偉大にしてやる」ということではなく、「モーセを支えた同じ神であるわたしが、今度はあなたのすぐそばで、あなたと共に歩む」ということでした。 人生において、私たちが未知の領域に踏み出すときや、自分の能力以上の責任を負わされたとき、必要なのは自分の実力(剣や槍)ではありません。ただ、「神様が共におられる」という事実です。だからこそ神様は、「わたしの律法(みことば)を昼も夜も口ずさみ、そこから離れるな」と命じました。みことばを握りしめ、神様とのつながりさえ切らさなければ、私たちはどんなヨルダン川の前でも「強く、雄々しく」立つことができるのです。
第一コリント 1章 の解説
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(第一コリント 1:18)
ヨシュア記が「勇気と勝利」を語るのに対し、第一コリント1章は、全く逆の「愚かさと弱さ」について語ります。
当時のコリントは、ギリシャ哲学や雄弁術が盛んな、知識と教養を鼻にかける大都会でした。教会の信者たちも世俗の価値観に染まり、「私は学問のあるパウロ先生についていく」「私は話し方が上手なアポロ先生のファンだ」と、人間の立派さを競い合い、教会はバラバラに分裂していました。
そんな彼らに対して、パウロは冷や水を浴びせるように「十字架」を突きつけます。 当時のローマ社会において、十字架の死刑とは「究極の敗北」であり、口にするのもおぞましい最大の恥でした。ギリシャの知識人たちから見れば、「惨めに処刑された大工を救い主として拝む」など、正気の沙汰ではない「愚かさの極み」だったのです。 しかしパウロは、そこにこそ人間の知恵を吹き飛ばす「神の逆転劇」があるのだと宣言します。
「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれました。」(第一コリント 1:27)
日本の伝統技法に「金継ぎ(きんつぎ)」というものがあります。割れて粉々になった陶器を漆でつなぎ合わせ、その傷跡を金で装飾して修復する技法です。世の中の価値観では、「割れた器」は無価値なゴミです。人々は傷ひとつない完璧な器(知恵ある者、強い者)を求めます。 しかし、神様という偉大な芸術家は、あえて「割れた器(弱い者、愚かな者)」を拾い集めます。なぜなら、自分には何の取り柄もないと泣いているその「ひび割れ」にこそ、キリストの十字架の愛という「純金」を流し込むことができるからです。傷跡が金で輝くとき、その器は割れる前よりもはるかに美しく、高価な傑作へと生まれ変わります。そして誰もが、「器が立派だから美しい」のではなく、「修復した職人(神様)の腕が素晴らしいのだ」と神の力をほめたたえるのです。
パウロはコリントの人々に、「自分の知恵や強さを誇るのをやめなさい。私たちは皆、十字架によって買い取られたただの割れた器にすぎないのだから」と、真のへりくだりと愛への立ち返りを求めたのです。
今日の神様からの奨め
今、あなたは目の前にそびえる壁の前で「私には能力がない」「こんな立派な役割は果たせない」と恐れを感じているでしょうか。あるいは、自分の弱さや過去の傷(ひび割れ)を見て落ち込んでいるでしょうか。
今日、神様はあなたに優しく語りかけておられます。「あなたの弱さのままでいい。立派である必要はない。わたしがあなたと共におり、あなたのその弱さのひび割れから、わたしの金色の光を輝かせるのだから」。 自分の足りなさを数えるのをやめましょう。弱いあなたを愛し、共に歩んでくださる神様の大きな愛にすっぽりと包まれながら、恐れることなく、今日という新しい一歩を力強く踏み出してください。


