【聖書通読 第24週5日目】奇跡の扉を開く「信仰の一歩」と、永遠に焼け残る「人生の土台」 

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【聖書通読 第24週5日目】奇跡の扉を開く「信仰の一歩」と、永遠に焼け残る「人生の土台」 

氾濫するヨルダン川に足を踏み入れた祭司たちの姿から、奇跡を引き寄せる「信仰の一歩」を学びます。またパウロの言葉を通して、私たちの人生と教会が、人間的な知恵(燃え尽きる木や草)ではなく、キリストという唯一の土台の上に、永遠に価値のある神様への愛(金や銀)で建て上げられるべきことを確認しましょう。

ヨシュア記 3章 の解説

ヨシュア記3章は、イスラエルの民がいよいよ約束の地へと足を踏み入れる、歴史的な転換点です。しかし彼らの目の前には、岸いっぱいに濁流となって渦巻く「ヨルダン川」が立ちはだかっていました。

この時、神様は「川の水を二つに分けてから、民を渡らせる」という手順を踏みませんでした。神様が命じたのは、「契約の箱を担ぐ祭司たちに、まだ水が濁流となって流れているその川の中に、自分の足を踏み入れなさい」ということでした。 祭司たちは恐怖を感じたはずです。一歩間違えれば、濁流に飲み込まれて命を落としてしまいます。しかし、彼らが神様の言葉を信じ、信仰で水際に足を踏み入れた「まさにその瞬間」、はるか上流で水が壁のようにせき止められ、下流への水が完全に絶たれて、川底に乾いた道が現れたのです。

信仰とは、現代の「自動ドア」にとてもよく似ています。 自動ドアの前から遠く離れた安全な場所に立ち止まったまま、「神様、どうかこのドアを開けてください。そうしたら前に進みます」と祈り続けても、ドアは決して開きません。センサーが反応するのは、私たちがドアに「一歩踏み出した時」だからです。

人生でも、「この問題が完全に解決して、安心できたら行動します」と神様に条件をつけてしまうことがありませんか。しかし神様は、「状況が絶望的に見えても、あなたがわたしを信じて、今日できる従順の『一歩』を踏み出すなら、わたしが後から奇跡の道を開く」と約束しておられます。 信仰とは、頭で信じてじっと待つことではなく、神様を信頼して「一歩踏み出す」ことなのです。

第一コリント 3章 の解説

第一コリント3章でパウロは、「私の方が偉い」「あの人より私の方が能力がある」と人間的な自慢をして争っている教会の人々を、「あなたたちはまだ霊的な赤ちゃんだ」と厳しく諭します。 パウロは、私たちの人生や信仰を「家づくり」に例えました。

「だれも、すでに据えられている土台であるイエス・キリスト以外の土台を据えることはできないからです。」(第一コリント 3:11)

どんなに外観が立派な家でも、土台が「砂」であれば地震ですぐに倒れてしまいます。私たちの人生の唯一の確かな土台は、人間の知恵や能力ではなく、「イエス・キリストの十字架と復活の愛」だけです。 そして大事なのは、その完璧な土台の上に「どんな材料で自分の家を建てるか」です。材料には「金、銀、宝石」と「木、草、わら」の2種類があります。

「木や草」とは、人から褒められたいという見栄や、自己中心的な行動のことです。これらは神様の審判の火(テスト)が通ったとき、一瞬で燃え尽きて灰になり、何も残りません。一方「金や銀」とは、誰も見ていないところでの信仰の行動のことです。これらは火を通ると、不純物が消えてさらにキラキラと永遠に輝きます。

私たちも毎日、自分の人生という家を建てています。人目を気にした「燃え尽きるワラ」ではなく、永遠に残る神様が喜ばれる純金のレンガを、今日も一つずつ大切に積んでいきましょう。

今日の神様からの奨め

今日、あなたの目の前に「渡れそうにない川(解決が難しそうな問題)」があるかもしれません。しかし、状況が良くなるのをただ待つのではなく、「神様が共におられる」と信じて、今日あなたにできる「信仰の一歩」を、勇気を出して踏み出してみてください。

そのあなたの信仰の一歩は、決して燃え尽きることのない「純金や宝石」となって、あなたの人生の土台にしっかりと積み上げられていきます。そしてますます信仰の歩みを踏み出していきましょう。

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