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【聖書通読第14週 6日目】御言葉を忘れず、主によって目を開いていただく(民数記15章とヨハネ9章)
民数記15章 / ヨハネ9章
御言葉を忘れず、主によって目を開いていただく
民数記15章とヨハネ9章には、どちらにも「見える」「覚える」ということに関わる大切な教えがあります。
民数記15章では、神様の民が御言葉を忘れず、思い出しながら歩むように命じられています。
ヨハネ9章では、生まれつき目の見えない人がイエス様によって癒され、肉体の目だけでなく、たましいの目も開かれていきます。
この二つの章を通して教えられるのは、人は放っておくと神様を忘れやすく、真理が見えなくなりやすいが、主は御言葉と恵みによって私たちを正しい道へ導き、目を開いてくださるということです。
民数記15章の解説
神様は、忘れやすい私たちに御言葉を思い出させようとされる
民数記15章には、ささげ物の規定や、故意の罪と過失の罪についての教えが記されています。 ここを見ると、神様が罪を軽く見ておられないことがよくわかります。 故意に逆らう罪は深刻であり、神様の前に重いものでした。 同時に、過失や弱さの中で犯してしまう罪についても、神様はどう向き合うべきかを示しておられます。
つまり神様は、民がいい加減に生きることを望まれません。
神様は、ご自分の民が、聖さを大切にしながら歩むことを求めておられるのです。
そしてこの章の終わりには、衣の四隅のふさの命令が出てきます。 民はそのふさを見るたびに、主の命令を思い出し、自分勝手な思いに流されないようにするためでした。
ここがとても大切です。 人は本当に忘れやすいのです。 神様の恵みも忘れます。 御言葉も忘れます。 つい目の前の気分や欲望に流されます。 だから神様は、「思い出しなさい」と言われるのです。
これは、たとえるなら、大事な約束を忘れないように、目につくところに貼っておくようなものです。
神様は私たちが御言葉を心に刻み、日々思い返しながら歩むことを望んでおられます。
ヨハネ9章の解説
イエス様は見えない者の目を開かれる
ヨハネ9章では、生まれつき目の見えない人がイエス様に癒されます。 弟子たちはまず、「この人が見えないのはだれが罪を犯したからですか」と尋ねました。 するとイエス様は、その人の苦しみを簡単に罪の報いとして片づけるのではなく、神のわざが現れるためですと答えられました。
ここに慰めがあります。 人は苦しみを見た時、すぐに理由を知りたがります。 でも神様は、ただ原因探しをされるのではなく、その苦しみの中にご自分のわざを現されることがあるのです。
イエス様は泥を作って彼の目に塗り、シロアムの池で洗うように言われました。 彼がその言葉に従った時、目が見えるようになりました。
ここで見たいのは、ただ奇跡のすごさだけではありません。
この人は、見えるようになったあと、少しずつイエス様がどなたであるかを知っていきます。
最初は「イエスという方」と言い、 次には「預言者です」と語り、 最後には主を礼拝するところまで導かれます。
つまりヨハネ9章は、肉体の目が開いた話であると同時に、たましいの目が開かれていく話でもあるのです。
それに対して、見えているはずの宗教指導者たちは、かえって真理が見えていませんでした。 ここに厳しい対比があります。 外の目が見えていても、心の目が閉じていることがある。
逆に、主に触れられる時、見えなかった者が本当に見えるようになる。 イエス様は、そういうお方です。
神様が喜ばれること
御言葉を忘れず、主の語りかけに従うこと
神様が喜ばれるのは、私たちが御言葉を大切にし、思い出しながら歩むことです。
日曜日だけ思い出すのではなく、日々の生活の中で、 「主は何を語っておられるだろうか」 「私は御言葉に従っているだろうか」 と心を向けることを神様は喜ばれます。
また神様が喜ばれるのは、私たちがイエス様の語りかけに素直に従うことです。
ヨハネ9章の人は、主に言われた通りに行って洗いました。 その従順の中で、彼は見えるようになりました。
主のことばに従う時、私たちも少しずつ真理が見えてくるのです。
神様が望んでおられること
自分勝手に流されず、主に目を開いていただくこと
神様が望んでおられるのは、私たちが自分勝手な思いや欲望に流されず、御言葉を思い出しながら歩むことです。
人は放っておけば、自分の見たいものだけを見て、自分に都合のよいように生きようとしてしまいます。
だからこそ、主のことばを心に留め続けることが必要です。
また神様が望んでおられるのは、私たちがイエス様によって霊の目を開いていただくことです。
「私は見えている」と思っている時ほど、見えていないことがあります。
だから、「主よ、私の目を開いてください」と祈りながら歩むことを神様は望んでおられます。
まとめ
民数記15章は、神様がご自分の民に御言葉を忘れずに歩んでほしいと願っておられることを教えています。
ヨハネ9章は、イエス様が見えない者の目を開き、真理へ導いてくださることを教えています。
今日、私たちは覚えたいのです。
人は忘れやすい。だからこそ御言葉を思い出そう。
人は見えているつもりでも見えていないことがある。だからこそ主に目を開いていただこう。
イエス様は、ただ目を癒すだけのお方ではありません。
私たちの心を照らし、真理を見せ、神様の道へ導いてくださるお方です。
だから今日も、御言葉を心に留め、主によって目を開いていただきながら歩んでいきたいと思います。
